2020/11/6

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舘野泉 エッセイ「テキサス風邪と豚箱の楽旅」

今年、2020年に演奏生活60周年を迎えたピアニスト舘野泉が、11月10日(火)東京オペラシティ コンサートホールにてバースデーコンサートを開催します。プログラムは世界初演奏の作品が含まれ、公演の様子はライブとアーカイブ配信でもお楽しみ頂けます。
今回は、弊社ジャパン・アーツの公式Twitterにてアーティスト達へアンケートを実施し、その回答をご紹介している「JAアーティストに聞いてみた」で『私の絶対絶命』という質問について、舘野が回答したエピソードをお届けします。数々の絶対絶命を乗り越えた舘野が語る「テキサス風邪と豚箱の楽旅」とは!

舘野泉

 風薫る5月も終わりで、愈々梅雨の季節到来。雨もしんどいが皮膚にまつわりつき、思考力も低下させるような湿気は堪らない。どんよりと停滞した雰囲気は重苦しく、それに暑さが加わった猛暑の夏も予感させて、一層耐えがたく感じられる。

 この季節の救いは紫陽花の花。我家の庭にある紫陽花にも白と薄緑色の蕾みがふきだし、育っていくうちに紫色に変化していくのが何ともいわれず妙で、眺めて飽きることがない。

 5月に音楽の友社から私が監修した「左手のためのピアノ珠玉集〜時のはざま」が刊行された。アルバムに収められた那覇在住の作曲家、村田昌己の作品<時のはざま>をそのままこの曲集のタイトルに付けさせてもらった。自然の移ろいゆく姿、それは各曲の表題にもなっているように、波や風や鳥、雫、風の彩、濡れた紫陽花、椿散る、桃花水、海とカルスト、そして古池や姨捨山など、我々の心の中を吹き去り、何かを与え、そして去っていくものが集められている。流動し息づいているのだ。

 アメリカ先住民族ナヴァホ族の創世神話では、この地上に生きるものすべての誕生の時、生命を与えてくれるのは風の神だとある。「人はその体内を風が吹いている間だけ生きている。風が止めば人は言葉を失い、死ぬ」と。

 <濡れた紫陽花>。憂いを含んだ大柄なその花は美しい女の姿を思わせる(絶対に男ではない)!「少し陽が射してきて」一瞬の輝きを見せ、その後呟くように「雨が」とただひと言。その後に言葉が続くとしたら、それはなんだろう・・・

 <散る椿>では潔くひとつの運命が閉じられ、しかし次の年にまた花を咲かせる。散ってはいくが、内には樹の中を静かに巡り続ける樹液がしっかりと命をつないでいくのだ。

 思えばこの春はずっとコロナ・ウィールスに全世界が覆われて、見えない敵との戦いに我々は息を潜め、経済や社会、文化活動など全てが停滞してしまった。このウィールスとの戦いはこの先いつまで続くのだろう。100年前のスペイン風邪のウィールスは絶滅してしまったそうだが、新型コロナ・ウィールスもいつかは絶滅するのだろうか。歴史的にいままで幾度となく繰り返されてきた疫病と人類の戦いであるが、いままた我々は厳しい日々を迎えている。

 私個人も20数回のコンサート、それは2月以降9月まで日本とドイツ、フランス、フィンランド、エストニアなどを含むのだが、すべてキャンセルか延期になってしまった。陸にあがった魚みたいなものだ。妻のマリアは4月に日本に来る予定の航空路が閉鎖され、しかもフィンランドでは70歳以上は外出禁止という厳しい制限で自宅に閉じ込められてしまう。そしてマリアのお母さんは昨年12月に99歳の誕生日を祝ったばかりだが、今年の4月初めに入院し、7日に亡くなった。コロナ・ウィールスではなく老衰による死だったが、病院では親族の面会も許されず、埋葬をすることさえも許されなかった。ようやく5月15日に葬儀の許可がおりたが、参列者は10人以内の制限。しかもいわゆるソシアルディスタンスをとってである。

 戦後最大の全世界的危機だと云われる。第2次大戦後の世界も混沌としていたが、それでも閉塞感はなかった。末吉保雄とよく話したことだが、その混乱には生きるんだ、新しい世界が始まるんだという活気があった。

 65歳の時に脳溢血で倒れ、右半身に麻痺が残って「あいつはピアニストとしてはもう終わりだ」と云われながら過ごした2年半の間にも、現在のような閉塞感と無力感はなかった。何か「運命の力」のようなものを信じていたのだろう。

 疫病に苦しめられた思い出としてはいまから40年前の1980年2月のソ連演奏旅行がある。40度近い高熱にうなされながら、零下20度の厳しい寒さの中を2週間、ウクライナ地方のハルコフ、キエフ、リトアニアの首都ヴィルニウス、モルダヴィアの首都キシュノフ、そしてサンクト・ペテルブルクの5箇所を廻った。

 モスクワに出発する5日前に、当時全フィンランドに猛威を揮っていたテキサス風邪という悪性の流感にやられてしまった。ちょっと寒気がしたなと思った数時間後には熱が一挙に40度近くまであがり、激しい頭痛、全身の痛みとひどい悪寒に襲われて、ベッドに入っても震えが止まらない。食欲もまったくなくなってしまう。フィンランドでは全国の学校が休校、兵舎も病人ばかりという有様だった。そんな悪夢の真っ最中にゴス・コンツエルト(ソヴィエト国営コンサートビューロー)から「キシュノフはリサイタルではなく、オーケストラとの共演。曲はプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番」という電報が入った。この曲を前回弾いたのはもう4年前。ああ神様、どうしよう!

 いよいよ2週間の旅へ出発の日が来、私はベッドから起き上がると、何日も溜まった髭を剃り、思いトランクをやっとの思いで持ち上げて、空港へのタクシーに乗った。日の光りが眩しく、街の騒音と氾濫する色彩に目眩と吐き気を催しそうで、私はタクシーの隅っこに光りから隠れるように小さくなって座った。熱はまだ38度以上あった。

 翌日ハルコフに飛ぶためにモスクワ空港に行くと、ハルコフ悪天候のため飛行機はいつ飛ぶか分からないという。身を横たえる長椅子もない寒々とした待合室で結局8時間待たされ、ハルコフ到着はモスクワを出て12時間後の夜半。戸外は零下20度だった。

 私は咳がひどくて、寒いところに出ると30分ぐらいは猛烈な咳が止まらない。喉は完全にやられていて、ほとんど話しをすることも出来なかった。でも、不思議なもので、モスクワ空港で苦しい姿勢で待ちながら、気持ちが次第に明るく軽くなっていくのを感じていた。自分は事態がこれ以上悪くなりようもない「零」の地点に立たされている。身体の状態は依然として最悪。6日間もピアノにはまったく触れていない。私に出来ることは何もない。ただ音楽の流れるにまかせていけばよいのだ。そうあるほかはないということを納得したのだ。

 翌朝、じつに7日ぶりにピアノに触れた。ベートーベンのOp.90のホ短調ソナタの冒頭、強烈な和音を弾くと両腕がその勢いを支えきれなくて、ぐらりと揺れた。しかし人の心とは不思議なものだ。私がその時に感じたのは「音楽が自分を伝わって流れだしている」という感謝としか云いようのない気持ちだった。静かな喜びが体中を満たし、私は心の片隅でちらっと「神」を思った。その晩のコンサートまでの5時間、私は最初から終わりまでの全曲目をゆっくり丁寧にさらった。ベートーベンで始まりシューマンの交響的練習曲、ノルドグレンの「雪女」と「耳なし芳一」、最後にシマノフスキーの「3つの仮面劇」という、かなり難しく体力も要するプログラムだった。

 ハルコフの演奏会は大成功だった。アンコールを2曲弾き、キエフ行きの列車に間にあわせるよう用意されたタクシーに乗り込むべく急ぐ私を人々は取り囲み、口々に讃辞と感謝を述べ、サインと握手を求めてくれた。

 キエフとヴィルニウス、サンクト・ペテルブルクでのコンサートも無事に済み、熱もだいぶ下がってきた。昼間はその地の音楽学校で練習し、夜になると、通訳として全旅程同行してくれたサディンコフというお爺さんが背中一杯に芥子の湿布を貼ってくれた。宿泊は各地とも一流のホテルであり、日当として使いきれないほどのルーブル紙幣を貰った。使いきれないと書いたが、使い途もないといった方が正確であろう。物資の貧しさと少なさは驚くべきものだった。ホテルの食事はよかったが、街の食堂などの水準は本当にひどかった。食器類もすぐに折れたり曲がったりするアルミ製だった。オフの日には演奏会や人形劇などに行ってみたが、これだって無料みたいな値段だ。出演料はルーブルとドル半々でくれるが、ルーブルは国外に持ち出せないからロシアの銀行に口座を持っていた。しかし引出すには手続きが煩雑だし無利子。結構な額が口座には貯まっていたが、共産態勢が崩壊し、ルーブルが無惨に下落した現在ではトイレットペーパーひとつ買えないお金になってしまった。

 この旅のことを書き出したら終わらなくなってしまう。以下省略でキシュノフの豚箱に行こう。ルーマニア国境に近いキシュノフは、それまでの土地と違って葡萄栽培やワインの工場もあり、農村地帯の印象が強かった。演奏会の前日、オーケストラとの練習を終えてサディンコフさんとホテルに戻る途中、剥き出しの土の広場に大きな市場があった。ほとんどが野菜その他の農作物で、ほかにはチーズとか衣類などもあったかもしれない。いかにも地方色豊かな風景で写真に撮りたかったが我慢した。ホテルに戻ると「僕昼寝しますから」と通訳には告げて、そっとカメラを持って飛び出した。市場には農民風の人たちがたくさんいて、品物は貧しいながら、ロシアに来て初めて生き生きとした本当の生活の姿に触れたと思った。夢中になってシャッターを押し続けながら、どうも様子がおかしいと思った。周囲の人たちがなにか不安そうで、怖いものを見るような目付きで私のことを見ている。「やばい!」とカメラをポケットに突っ込んだ瞬間、背後から2人の男にがっしりと両脇を抱え込まれてしまった。銃を持った兵士だった。広場の隅の拘置所みたいなところに放りこまれ、鍵を掛けられてしまった。

 暫く待たされてから署長らしき男に尋問を受けたが、先方はロシア語がしか出来ないので会話が成り立たない。途方に暮れたようだった。ここのオーケストラと弾きにきているんだということを身振り手振りで説明し、署長さんもオーケストラに電話して様子が分かったらしい。無罪放免となった。カメラからフィルムを抜かれるかと思ったがそれもなく、撮るのならスターリンやブレジネフだ、市場は駄目だよと一生懸命説明してくれ、お互いににこにこと和やかにお別れをした。

 翌日のプロコフィエフの協奏曲の演奏は上出来だった。熱烈な拍手が鳴りやまず、アンコールを2曲弾いた。この時の指揮者の名前は忘れたが、ヴァイオリニストのヴィクトリア・ムッロヴァのピアニストとしてフィンランドに演奏に来た時に、そこから西側にムッロヴァと一緒に高飛びした人だった。

 旅の終わりに2週間、親身の世話をしてくれたサディンコフさんに何かお礼をしたいと思った。ドルの免税店なら品物もあるし、いいコニャックでもと考えていたのだが、サディンコフさんの希望はコーヒーだった。「いいコーヒーを手に入れるのはとても大変なんです」と寂しそうに笑った。

 今年の初め頃にはクバイネさんとは電話でセヴラック音楽祭の話しもしていたのだが、コロナ・ウィールス騒ぎでフランスも大変らしい。来年はセヴラックの死後100年だがこれもどうなるやら。2023年には生誕150年を盛大に祝うことができるだろうが、その頃私は87歳。大丈夫かな〜
まあ成るようになる。ゆっくり待とう。

舘野 泉


舘野泉×かもめ食堂 IZUMI TATENO x KAMOME

Produced by Hideki Ogawa
企画製作 Kamome Project Oy、Eivere Manor OÜ


演奏生活60周年 舘野泉 ピアノ・リサイタル ~悦楽の園~
11月10日(火)19時00分開演 東京オペラシティコンサートホール
チケット好評発売中!
https://www.japanarts.co.jp/concert/p870/

ジャパン・アーツ ライブ・ビューイング Japan Arts Live Viewing
演奏生活60周年 舘野泉 ピアノ・リサイタル ~悦楽の園~
スマホ・PC・タブレットなどお好きなデバイスでコンサートを楽しめる公演同時LIVE配信サービス 『ジャパン・アーツ ライブ・ビューイング Japan Arts Live Viewing』。
ご自宅のリビングルームやお好きな場所でコンサートの鑑賞が可能です。
チケット価格:ライブ・ビューイング視聴購入 1,500円(税込)
発売期間:2020年10月21日(水)10:00~2021年2月9日(火)18:00まで
視聴可能期間:LIVE配信開始(2020年11月10日(火)19:00~)以降、ご購入から3ヶ月間
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