2013/4/17

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大野和士の電話インタビュー

日本が世界に誇るマエストロ 大野和士。
まもなく来日するウィーン交響楽団との共演について、演奏するプログラムについて、そして先日亡くなった師サヴァリッシュ氏について…電話インタビューを行いました。

大野和士

【マエストロ大野、ウィーン交響楽団との初共演】
──大野さんにとって、ウィーン交響楽団との共演は今回が初めてですね?
大野:そうです。これまでウィーンでは、ムジークフェラインでウィーン放送交響楽団を2回指揮しているんですが、ウィーン交響楽団は初めてです。

──日本ツアーの前には、ウィーンでまず共演なさいますね[5月6日]。
大野:そうなんです。コンチェルトハウスではまだ指揮をしたことがないものですから、楽しみですね。ウィーン交響楽団は、ずいぶん昔になりますが、留学していていた頃にロジェストヴェンスキーさんの指揮するショスタコーヴィチの交響曲第5番を聴いた記憶があります。

──ウィーン交響楽団はどのようなサウンドだという印象をお持ちでしょうか。
大野:機能的にも大変優れていながら、北のほうのオーケストラの峻厳さとはまた違う、温かさを感じさせるオーケストラだと思います。ウィーン・フィルにも共通するところだと思うのですが、子供の頃から一緒に音楽を演ってきた仲間たちが、ある意味で「永遠の同窓会」をやっているのに似たところがあるのでしょう。非常に同族的なまとまりが強い。

 私は事前にオーケストラから譜面を取り寄せて研究することも多いんですが、今回も楽団からパート譜を取り寄せています。特にウィーンの楽団ならではの弦楽器の特別なボウイング、一般的には演らないようなポルタメントなどが記入されていますから、そこからまずあらかじめ、〈ウィーン語〉を想像することを始めています。予想して、自分自身もそこへ入っていくという姿勢が必要なのではないかと思いますね。

 ウィーンは伝統的にヨーロッパにおける音楽の中心にありました。たとえば北のほうのドイツと、南のほうのイタリアの光など、様々な文化がちょうど交わりあうたいへん絶妙な地理的バックグラウンドに恵まれていますから、音楽の様々な様式がウィーンへ集まってくる。そして音楽家もそうです。モーツァルトもベートーヴェンもウィーンに行きましたし、シューベルトはウィーンっ子。ブラームスもマーラーも結局ウィーンに来て音楽家としての成長を遂げたわけです。ウィーンという街に、マグネットのような力が存在することは間違いないと思うのです。

──今回の日本ツアーでは、そのウィーンのオーケストラにとっても非常に重要な作品を選ばれていますね。
大野:そうですね。ウィーンで生まれ育った作曲家たちの集大成のような感じになりまして(笑)、いろいろ相談しながら最終的にこの曲目が決まったとき、自分の中でも一瞬「うっ」とこみ上げてくるものがありました。自分でも大変楽しみにしているのと同時に、襟を正す思いもあるわけです。

【世紀末の熱気、最後の凱歌 ──マーラー〈交響曲第5番〉】
──マーラーの交響曲第5番をウィーンの楽団と演奏されるというのも大きな機会ですね。
大野:そう思います。マーラーの交響曲では〈死と向き合う〉ということが大切になります。それが世紀末ウィーンのデカダンスの雰囲気と深く結びついているということが、聴く上でもポイントになることだと思います。

 マーラーの創作では、この交響曲第5番と次の第6番とのあいだに、彼の創造者としてのありかたの大きな違いがあらわれています。第5番は、非常にシリアスな葬送行進曲で厳かに始まる曲なのですけれども、嵐のようなスケルツォの葛藤、あるいは耽美的なアダージェット‥‥とても世紀末的な熱気に充ち満ちている。ところが終楽章は、ある意味でブラームスの交響曲第4番と同じですが、フガートの音楽を書くのです。マーラーも指揮者として得意としていたベートーヴェンの、いわゆる古典的な世界へ戻ってゆく。しかもニ長調ですね。ベートーヴェンの第九、歓喜の歌と同じ調です。

 これが交響曲第6番《悲劇的》になると、まず形式も交響曲の概念を大きく返るようなものになるのと同時に、それもどんどん破滅の方向へと向かってゆきます。最後はハンマーで叩き壊してしまいますしね。第6番以降では、ポジティブな思考に基づいた人間の成長に対する信奉が作品の中でもどんどん瓦解していき、人間の終末など宗教的な概念が一掃されてゆく。より深いニヒリズムでもあります。
 しかし、この第5番を書いた時点でマーラーの中には、なにかポジティブなものを信じられる余地があったと考えられます。物質的な存在としての人間の生命が終わったとしても、精神的なもの、魂として続いてゆくというキリスト教的な考えがまだあった。それは、第6番以降ではなくなってしまうものです。作品全体の最後に凱歌のファンファーレが響くというスタイルが、マーラーの中にまだあった時代の、最後の作品がこの第5番なのです。

 ただ、それはベートーヴェン作品にあるようなポジティブさとは違います。彼の音楽は、何事も精神を持って超克してゆける、という克己心の塊のようなところがありますが、マーラーの第5番はそうではない。
 全体としては上昇感のある曲ですし、たとえば、教会の祭壇画にある、天使の翼に乗って人間の魂が昇っていくような‥‥ある意味で『ファウスト』的なところに結びつくものは確実にあると思います。そしてそれが音楽の中に切迫感をもってきこえ、必ずしも約束されたものではないというメッセージもまた込められている。天国の門が開くような金管楽器のファンファーレがきこえたとおもうと、それがディミヌエンド[漸減]してゆくのも、見えたと思ったそれがまた彼方の幻影のように消えてゆくことなのかも知れない。‥‥これは、ベルリオーズが《幻想交響曲》でイデー・フィクス[固定楽想]という発想を用いて、クラリネットにそれが現れてはすっと消えてゆく、といった手法をも思わせますね。作曲法としてはロマン派からの影響を直接に受けているのです。

【沈みゆく太陽の壮絶な輝き ──ブラームス〈交響曲第4番〉】
──ブラームスの交響曲第4番もまた、ウィーンの生んだ名作です。
大野:ウィーンの聴衆の中には、もう何千というこの曲の名演が響いてきたわけです。それを考えると武者震いするところはありますが‥‥私もブラームスがこのシンフォニーを書いた年齢より年上になりました(笑)。ですから今回も、私のブラームス観というものを、ウィーン交響楽団と聴衆の皆さんへそのままぶつけてみたいという気持ちでいます。

 この第4番は、ブラームス自身の〈人生の秋〉を思わせます。最後に響く諦念‥‥ところがそういう要素ばかりではなく、第3楽章のスケルツォに溢れる爆発的な生命のエネルギーもあります。そこから、深い憂愁を湛えた終楽章にいくわけですが、ある意味で轟々と鳴る部分もあるわけです。お日さまが沈む時に、地平線にぎらぎらと赤や黄色が拡がって輝く瞬間がありますよね。あの瞬間こそが、このブラームスの第4番そのものだと思うんです。日暮れの際の、沈みゆく太陽の、ある意味で壮絶な姿。‥‥これは、昼間の輝かしい太陽、ある意味で雄々しく全てを照らす太陽の輝きと対照的なものだと思うのです。

 そしてもうひとつ、作曲法の点からみますと、終楽章にシャコンヌ[古い時代からの変奏形式]が使われているように、この交響曲にはブラームスが音楽を始めて以来さまざまな作品でみせてきた〈バッハの世界への探究〉があるわけです。彼はバッハから学び、バッハへ戻ってゆく。作曲家としては、バッハという太陽をめぐる恒星でもあったのです。中でも大きな木星と捉えてもいいかも知れませんね。‥‥バッハとブラームスを、太陽と木星のように考えれば、この交響曲第4番もうまく受けとめていただけるのではないでしょうか。

 なにしろ、どこからみても圧倒的な作品です。バッカス[酒神]のようなエネルギーをもった交響曲第2番よりも熱く、交響曲第3番よりも諦念が深く、この第4番の終楽章では各パートが深く綿密に結びつきながら、それが怒濤のようにすすみ、最後には大聖堂の大伽藍を築きあげてゆくのです。ブラームスが生まれてからこの交響曲を書くまでの全ての人生、バッハの音楽を土台として彼が触れてきたヨーロッパのあらゆる文化、そして彼自身が創造してきたすべてものを、この第4番に注ぎ込んだのだと思います。

【オーケストラを触発する独奏の凄味 ──庄司紗矢香とのブラームス〈ヴァイオリン協奏曲〉】
──今回は交響曲第4番の前に、庄司紗矢香さんとの共演でヴァイオリン協奏曲を置かれました。
大野:この曲は、交響曲第4番と違ってブラームスの壮年期の作品で、非常に風光明媚なペルチャッハという避暑地で作曲されています。オーストリアのアルプスの麓にあって、湖には幾千もの星が映るようなところなんですって。そういう自然と触れ合う和やかな雰囲気のなかで生まれたのが、交響曲第2番と、このヴァイオリン協奏曲です。
 ブラームスはどちらかというと厳しい自然のハンブルク出身ですね。それが後年ウィーンに行き、さらに南のペルチャッハへ行き、とても幸せな和やかな気持ちでこのヴァイオリン協奏曲を書いている。この作品と第4番とカップリングするのは、演奏するほうは集中力も必要とする大変なことですけど、プログラムとしては大変に妙味のあるところだと思います。

 この曲は[当時の名ヴァイオリニストである]ヨーゼフ・ヨアヒムとの共同作業で創られています。ブラームスはまだヴァイオリンという楽器について専門的に知らなかったので、第1楽章の終わりのほうでソロに高音を弾かせようとしたのですが、ヨアヒムは「ここは他の楽器に主役を与えたほうが」とホルンに書き換えています。ほかにも、ヴァイオリンにとって音程が取りにくく上手く響かないところも、オーボエやホルンに書き換えたり、ブラームスとヨアヒムが協働して創ったりしたという意味でも本当に〈協奏曲〉ですよね。独奏ヴァイオリンとオーケストラが対峙する、ある意味で交響曲に匹敵するような作品と言われるゆえんでもあると思うのです。

 庄司紗矢香さんとはこれまでもショスタコーヴィチやシマノフスキなど何度か共演してまいりましたので、その経験にくわえて今回も、より密度の高いコンチェルトになるよう、お互いに丁々発止で演っていきたいと思っています。
 庄司さんは、ふだんはあのように可憐な方ですけども、ヴァイオリンを持つと想像できないくらい一変されるんです。表情もそうですし、その音からは本質的な音楽が立ち上がってくる。その庄司さんにオーケストラも触発されて変わってゆく。今回の演奏でも、庄司さんのヴァイオリンがオーケストラをさらに変えてほしいと思いますね。

【大野和士、指揮者を夢見た衝撃の出逢い─ベートーヴェン《英雄》】
──ウィーンの誇る作曲家・ベートーヴェンをじっくりと聴けるプログラムも非常に楽しみなところです。メインに《英雄》を選ばれましたね。
大野:実はですね、私が生まれて初めてレコードで聴いた曲が、この《英雄》だったんですよ。3歳くらいだったと思うんですけれども、親が買ってきたレコードに合わせて、私はお箸を持って指揮の真似をしながら踊ってたんですね(笑)。そういうことをやっているのが指揮者だと親から聞いたらしくて‥‥それ以来、指揮者になりたいとどこかで思っていたものが、やがて本職になっちゃったという。そのきっかけの曲です。
 その時のレコードのジャケットにあった睨み付けるベートーヴェンと、《英雄》冒頭のあの「ばん!ばん!」という2つの強い音。これがあまりにもショックでずっと心に残り、そのレコードで私は育ちました。ですから《英雄》は私の中で特別な意味を持っているのです。

──その特別な曲を、今やウィーン交響楽団と共に演奏するわけですね
大野:たいへん光栄なことだと思っています。
 ご存知のように《英雄》が書かれたきっかけは、より自由な、人と人とが対等の兄弟として呼び合える世界を希求していたベートーヴェンが、ナポレオンを共和主義者として理想化していたところ。しかしナポレオンが皇帝になったとたんに彼は楽譜の表紙を引き裂いてしまう。実にベートーヴェンらしいと思います。
 《英雄》の前に彼は《ハイリゲンシュタットの遺書》を書いて自分自身の危機を超越したわけです。音楽家として一度は死を決意しながら、それを乗り越えて音楽家として生きてゆくことを決意した‥‥その果実がこの曲なのです。

 私は今、リヨン国立歌劇場でベートーヴェンの《フィデリオ》を演っています。《英雄》と近い頃に書かれたオペラですね。どちらもウィーンで初演された作品でもありますが、《フィデリオ》は夫婦の絆を描いた作品でもあります。最後に解放されるとき、フェルナンドという警視総監が「友たちよ」と歌うあたりも、ベートーヴェンがその頃から〈第九〉のことを考えていたのがよくわかります。「友よ、抱きあえ」という精神が、《フィデリオ》にも《英雄》にも表されている。そういう点でも《英雄》は、ベートーヴェンの壮年期から死に至るまでの、彼の中の政治的な、あるいは人間的な、そして音楽家としての生命の発端となった、非常に記念碑的な曲だと思ですよね。

 これは、本当に、生きる力をみんなに与えてくれる曲だと思います。東日本大震災で苦しまれているかたをはじめ、いろんな状況の中でも希望を持つということを、この曲を通して伝えることができると思う。そういうメッセージも込めて、演奏を捧げたいと思います。

──《英雄》の前には、ピアノのインゴルフ・ヴンダーさんと、ピアノ協奏曲第4番を共演されますね。
大野:今回が初めての共演になります。彼は2010年のショパン国際ピアノコンクールで入賞されたかたですね。ショパンのディスクが出ていますけど、もともとオーストリアの人ですから、ベートーヴェンやブラームス、あるいはモーツァルトやハイドンといった作曲家も子供の頃から手中に収めていると思いますし、今回もベートーヴェンの協奏曲で、彼が第5番《皇帝》でも第3番でもなく、第4番を演目に選んだというのが、ある意味で非常にマチュアだ[成熟している]ということの証明だと思います。

【故・サヴァリッシュさんのこと】
──ウィーン交響楽団といえば、日本でも大変に敬愛を集めたヴォルフガング・サヴァリッシュさんがかつて首席指揮者を務めておられました[1960~70年]。2月22日に逝去されたサヴァリッシュさんについて、ご縁の深い大野さんからも想い出をおきかせいただけないでしょうか。
大野:私の留学時代はサヴァリッシュさん一色でした。私のオペラ指揮者としての原点には、サヴァリッシュさんから学んだということがあります。
 私は東京藝術大学を出たあとで、ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場に留学しました。とにかくオペラのことを勉強したくて、オペラ劇場の中でいろんな人たちがオペラを作り上げてゆく、それがどういう仕組みになっているのかを知りたかったんです。もちろん日本でも昔から二期会や藤原歌劇団が立派な公演をされていて、その伝統の上に今の新国立劇場もあるのでしょうけど、またその頃は新国立劇場もありませんでしたから。それで留学をしまして、バイエルン州立歌劇場の元締めというか、オペラ公演の手綱を引き締めていたサヴァリッシュさんの背中を見て育ったのです。

 私がサヴァリッシュさんと初めて本当に親しく話したのは、私がミュンヘンに行ってから1週間くらいしてからでした。サヴァリッシュさんのアシスタントの人にぽんぽんと肩を叩かれて、「君、今日空いてるか?」って言われました。「空いてますよ!」というと、「今日、サヴァリッシュさんが歌手との共演でピアノを弾くリサイタルがあるから、譜めくりをやってくれ」って言われまして。そこでサヴァリッシュさんのところへ行って「こんにちは、お世話になります」って会話したのが初めてだったのです。
 その時、ミュンヘンのキュビリエテアターというロココ調の非常に優雅なホールでリサイタルをやったんです。休憩時間にその歌い手さんが、アンコールに《野ばら》をサービスしましょうって言っていたのですが、その日は歌いすぎて「マエストロ、一音下げていいですか?」という。するとサヴァリッシュさんはそのまま舞台に出ていって、リハーサルなしで転調して弾いてしまった(笑)。そういうことばかりを目の当たりにして、凄く衝撃を受けました。

【サヴァリッシュさんに学んだ、カペルマイスターの凄さ】
大野:バイエルンでのリハーサルでは、それこそ合唱指揮者や劇場ピアニストに混じって、ピットで振っているサヴァリッシュさんの肩が叩けるような一番前の席でずっと見学させていただきました。彼の後ろ姿を見ながら、自分の譜面にいろんなことを書き込んで勉強していたのです。公演の本番になると、客席ではなくサヴァリッシュさんの部屋で観るのですが、大きな部屋がふたつありましてね。そのうちのひとつにモニターが置いてある部屋があって、ピットで振っている指揮者が正面から見えるようになっているんです。舞台上には、歌い手の皆さんが指揮者を見られるモニターがいつも置いてあるのですが、そのモニターがサヴァリッシュさんの部屋にもあるんです。本番になると、そこに若い指揮者たちがスコアを持って集まり、サヴァリッシュさんが指揮している姿を真正面から見ながら自分の楽譜にまたいろいろ書き込みをするんです。ここから2つ振りにした、ここは4つ振りで、ここからアッチェレランドを始めた‥‥とか。

 彼は、徹頭徹尾、解釈家でした。たとえばベートーヴェンがこの譜面をもって何を意図していたか、あるいはワーグナーがこの譜面とテキストを結びつけることでどのような意味を付与したのか。それを読み取って、楽員あるいは歌い手さんに伝える。‥‥〈いろんなことを具体的に伝える〉ということ以外に、興味がない方だったと言えると思いますね。
 もちろんそれは、指揮者の根本的な準備段階の仕事として誰でもやらなければいけないことですし、指揮者であることの最低限の条件なのですが、今は時代が違います。指揮者も譜面と向き合う以外のところで、たとえばいろんなインタビューを受けてどれだけマスコミに露出するかといったことにも、自分から受け入れて開拓していかないと、なかなか場所がないという状態になっている。あるいはヨーロッパの劇場もコンサートも、教育プログラムに工夫をしたり、インタラクティヴな工夫で若い人たちをひきつけて将来の聴衆へ導いていったりとか、そういうことをしないとやっていけない時代なんです。──しかし、その点でサヴァリッシュさんは、そこまでいかない時代の最後の人‥‥自分と譜面とのあいだにとどまっていることのできた、最後の世代の指揮者だったのではないかと思います。それ以外に興味がなかった人なのかもしれません。マエストロはマエストロとして、カペルマイスター[楽長]としての職務だけを果たす。そのかわり、もの凄く高いレヴェルで果たす。その突き詰め方は尋常ではなかったです。

 私たちに与えられた時間は一緒ですから、いろいろ露出はしても、譜面と自分との間を深めてゆくという根本のところが疎かになってはバランスが崩れてしまう。そういう点でも、私たちはサヴァリッシュさんのような存在を、畏敬の念をもって見ざるを得ない。いつも警鐘を鳴らされていると感じます。美しい姿で指揮をしている写真やスマイルを出すのも一切無しでいいとは言いませんけれども、根本的な、底のところがしっかりしていないと意味がないですからね。

──サヴァリッシュさんの薫陶を受けた大野さんも、いまオペラ指揮者としてのご活躍も大変に精力的でいらっしゃいますが、そのオペラでのご活躍も、今回のようなシンフォニー・オーケストラの指揮に反映されることはあるでしょうね
大野:[オペラ指揮者でもあった]マーラーやリヒャルト・シュトラウスもそうでしたが、オペラだけ振っている人ってあんまりいませんよね。皆オペラも振るし、シンフォニーも振る。ひとりの作曲家と向き合う作業をするとき、全体を俯瞰することが必要になってきます。
 先ほどお話しましたように、ベートーヴェンでも《英雄》と《フィデリオ》って精神的な土壌として結びついているわけです。《英雄》がなかったら《フィデリオ》はなかったし、《フィデリオ》がなければ《英雄》もないのですよね。で、どちらがなくても〈第九〉はない、というわけなんです。

──オペラ指揮者として、オーケストラ指揮者としての熱い活躍を続ける大野さんが、ウィーン交響楽団とともにウィーンの誇る作品たちを演奏される今回の来日公演、たいへん楽しみにしております
大野:気を引き締めて、準備万端整えてやってまいりたいと思います。

インタビュー/ききて・構成:山野雄大
(2013年3月10日、フランス・リヨンとの国際電話による)

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―名匠&名手が織りなす―煌めきの瞬間(とき)―
大野和士 指揮 ウィーン交響楽

2013年05月13日(月) 19時開演 サントリーホール(ヴァイオリン:庄司紗矢香)
2013年05月15日(水) 19時開演 サントリーホール(ピアノ:インゴルフ・ヴンダー)
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