「イーゴリ公」民族を超えた愛と平和の物語

ブルガリア国立歌劇場


<イーゴリ公>
予定キャスト
マリーヤ・アレクサンドロワ セミョーン・チュージン ミハイル・ロブーヒン
スタニスラフ・トリフォノフ
(イーゴリ公)
Stanislav Trifonov
ガブリエラ・ゲオルギエヴァ
(ヤロスラーヴナ)
Gabriela Georgieva
アレクサンダル・ノスィコフ
(ガリツキー)
Alexander Nossikov
アンゲル・フリストフ
(コンチャク汗)
Angel Hristov

あらすじ
 12世紀。イーゴリ公は、南から侵略してきている遊牧民族ポロヴェツ人とその首領コンチャク汗を征伐するため、息子ウラジーミルとともに旅立つ。留守を任されたイーゴリ公の妻の弟ガリツキーは、領主の留守をいいことに町の娘たちをはべらせ酒宴に明け暮れる。
 それを知ったイーゴリ公の妻ヤロスラーヴナは頭を悩ませる。その最中、イーゴリ公とウラジーミルがポロヴェツ人の捕虜になってしまったという報告が届く・・・捕虜になったイーゴリ公、ウラジーミルはポロヴェツ人に丁重に待遇される。中でもウラジーミルはコンチャクの娘と愛し合ってしまうが、叶わない運命を嘆く。
 イーゴリ公も彼らの待遇には感謝の意をみせるがコンチャクからの「自分に味方せよ」との依頼を断固拒否する。その武人としての態度にほれ込んだコンチャクは宴を開き、美女や勇猛な男たちの踊り、そして最後には熱狂的な大合唱がその場に響き渡る。



ブルガリア国立オペラ カルターロフ版《イーゴリ公》によせて
 ロシアの作曲家アレクサンドル・ボロディンと言えば、まずは何より交響詩《中央アジ アの平原にて》、そして人気のバレエ曲〈韃靼人の踊り〉だろう。 化学者として成功し、 作曲は趣味で楽しんだ人だけに曲数そのものは少ないが、彼のエキゾチックな旋律 美と野趣に富んだリズムを愛する音楽ファンは多い。 そして、オペラでは何より、12世 紀のロシアの叙事詩を原作とし、未完ながらも世界中で上演される名作《イーゴリ公》 (1890年初演)がある。 〈韃靼人の踊り〉は実はこのオペラの一シーンであり、正確には 〈ポロヴェツ人の踊り〉と題する名場面。 韃靼(タタール)はモンゴル系、ポロヴェツ人 (またはキプチャク)はトルコ系で母体とする民族が違うので、今では楽譜の表記の通 り正確に訳している。 ボロディンはこのオペラに20年近くを費やした。 しかし、動脈 瘤で突然世を去ったため、遺した譜面を親友のリムスキー=コルサコフとグラズノフ がかき集めて補筆した。 その結果、作曲者の死後3年目にしてその構成が何とかまと まり、上演に至ったのである。ただし、場面ごとの繋がりがそれほど強くない上に、出 来上がったスコアをすべて演奏すると3時間半もかかるため、現在ではいくつかの シーンを省いた上で、曲順も入れ替えて演出を工夫する取り組みが一般的である。  この《イーゴリ公》、昔からブルガリアのオペラ界と強く結びついている。 その理由 は、この国が生んだ偉大なるバス歌手たち- ボリス・クリストフ、ニコライ・ギャウロフ、 ニコラ・ギュゼレフといった人々が本作への出演を好んだから。 イーゴリ公はバリトン の役だが、その愚弟ガリツキー公や敵方の大将コンチャク汗といった「一癖ある男た ち」はバスが歌う。 事実、首都のブルガリア国立歌劇場は、《イーゴリ公》の名盤をこ れまで2組も世に送っているほどで、国が誇る大歌手たちの芸風を残すべく、こうし たプロジェクトがたびたび組まれたのである。 そして今回、ブルガリア国立歌劇場 2015年来日公演でも《イーゴリ公》が取り上げられることになった。 ここで注目すべ きは、演出家カルターロフの独創的なアイデアによる「カルターロフ版」とも言うべき再 構成。 本人いわく「本作を演出するのはこれで3度目」とのことだが、いまの彼が最も注 目するのは、主人公の息子ウラディミールと敵方の娘コンチャコーヴナが愛し合う設定 である。 カルターロフはこの若い二人の心の結びつきを、人類の普遍的なテーマ「愛で 平和を」の表現に活かそうと決意。 イーゴリ公と妻ヤロスラーヴナが再会する原エン ディングの後に、人気の〈ポロヴェツ人の踊り〉を置いて「恋人たちの婚礼の祝席」に再 設定した上で、公とコンチャク汗との和解を、彼らが一本の剣を互いに手に取り、それ を燃やすさまに象徴させた。 非常に斬新かつ異色の解釈だが、批評はどれも好意的 で「単に戦いの終結のみならず、人間社会の進化を表現」といった高評価も得たほど。 このオペラに新たな命を吹き込むための大胆な試みとして、公演が今から待ち遠しい。

岸 純信 (オペラ研究家)