2024/5/8

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チョ・ソンジン ベルリン・フィル アーティスト・イン・レジデンス就任インタビュー

インタビュー:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
Interview: Berliner Philharmoniker
https://www.berliner-philharmoniker.de/en/stories/seong-jin-cho-interview/

生涯続く旅
チョ・ソンジン インタビュー

あのショパン・コンクールの優勝者、そして「ピアノの詩人」(サー・サイモン・ラトルより)として、チョ・ソンジンは国際的に名を馳せた。24/25シーズンはアーティスト・イン・レジデンスとして、シーズンを通してベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演する。今回のインタビューでは、マイクがいかに彼を緊張させるかということ、ピアニストの仕事には決して終わりがないということ、そしてピアノの音がAIに代えられない理由を、皆さんにお届けする。

我々の雑誌『Phil』で毎度ベルリン・フィルのメンバーに質問していることとして、「音楽家にならなかったとしたら、どんな職業を選びましたか?」というものがあります。あなたはどうですか?

とても難しい質問です。もし私が別の仕事の道を選ぶとしたら、手を使って何かをすることを選ぶのではないかと思います。私の性格は、どちらかというとおとなしくて内向的です。たぶん医師か外科医になったでしょう。

別の音楽家という可能性もあったでしょう。

ヴァイオリンを6年間、趣味として弾いていて、韓国のヴァイオリンの先生は続けるようにと熱心に勧めてくれました。韓国でピアノの部とヴァイオリンの部があるコンクールがあって、私は両方の楽器で出て、ヴァイオリン部門の3位になりました。ピアノでは入賞できませんでした。でも私はいつもピアノを弾く方に心地良さを感じていて、ヴァイオリンよりピアノを練習する方が長い時間楽にできたのです。

つまり初めからピアノはあなたの一番の選択だったということ?

ピアノはいつも私を感動させたかと言ったら、それは嘘になると思います。ピアノとヴァイオリンを弾き始めた時、私はたったの6歳でした。ピアノを弾き始めたのは、両親のすすめです。韓国では何か楽器を習うことは普通で、スポーツや絵も含め、いろいろなことをたくさんしましたが、クラシック音楽は子どもの時から楽しかった唯一のものです。もちろん長すぎる練習はしたくありませんでしたが、ピアノを弾くことも、人に聞かせることも、聞くことも楽しんでいました。ですから、初めから私はプロの演奏家になりたい、とくにピアニストになりたいと思っていました。それがどういうことなのかは分かっていませんでしたが。ピアニストが演奏するビデオを見て、かっこいいなと思っていました。

韓国で受けたトレーニングはどんなものでしたか?

とても競争が激しい雰囲気でした。成功したい音楽家はとてもたくさんいました。私はソウル芸術高校に通いましたが、同学年にピアニストは約50人もいました。全員私よりたくさん練習していて、少なくとも1日に3時間か4時間。私はこういう野心を批判するつもりは全くありません。あの環境があったから、私は自分を鍛えることができ、音楽に対してもっと情熱的になることができたのです。私はコンクールが嫌いですが、自分の周りにそのような情熱的な学生が何人もいれば、おのずと刺激を受けるものですね。

先ほどあなたは内向的だと言いましたが、ステージで演奏することはあなたにとって感情を伝える方法なのでしょうか。

私はどちらかというとシャイな人間ですので、人に自分の考えていることや感情を簡単に表しはしません。聴衆に何か言わなければならない時やマイクを手にしなければならない時は、自分が緊張し始めるのを感じます。でもピアノを弾くときは、とても自由な気持ちです。

聴衆との音楽的なコミュニケーションは、あなたにとってどのくらい重要ですか。

おそらく私は聴衆のことよりも作曲家の方をより気にかけていると思います。こう言うとちょっと自分勝手に聞こえるかもしれませんが、私は作曲家が書いた音楽をもっとよく理解し、その音楽なり感情なり言語なりを聴衆に伝えることが自分の仕事だと思うのです。

音楽を本当に理解することは簡単ではありません。あなたはそれにどう対応していますか?

それは、長いプロセスを要します。まず、楽譜を研究し、次に曲と作曲家の背景を調べます。ベートーヴェンのソナタや協奏曲の弾き方はとても多くあり、私の解釈は数年をかけて変わっています。私はこれが音楽家、演奏家であることの最も魅力的なことだと思います。

あなたはショパン・コンクールで優勝した有名なピアニストで、一流オーケストラとも共演しているのに、さらに遠くへ行きたいと言っています。この旅路にゴールはありますか。あるいはアーティストとしてのヴィジョンはありますか?

ピアニストはひとりひとり異なる音を持っていて、それを変えることは困難です。例えばバスの声をもっている人が、テノールになるのは難しいですよね。でも自分の音を発展させることはできます。生涯に渡る旅のようなものです。この職業には最終的な到達点はありません。コンクールで勝つことや有名オーケストラと共演することは本当に素晴らしいことです。ベルリン・フィルのアーティスト・イン・レジデンスであることを名誉に思います。でも私の本当の目標は、音楽的深みに関係することでなければなりません。

ピアニストとして自分自身の音を発展させるとは、技術的な言葉でいうとどういう意味ですか。どのように取り組んでいますか?

説明するのが難しいですね。基本的に、コンサートは毎回、その前のコンサートとは異なります。だからこそ音楽作りがこんなにエキサイティングなのですが。総じてピアニストの音に関してですが、私は、音は人の顔のように変化すると思うのです。自分がだんだん年をとっていることには自分では気づかないけれど、鏡を見ると、突然自分の顔が変わったことに気が付きます。こんな風に言うと不思議に聞こえるかもしれませんが、ピアノの音には何か不思議なものがあります。AIが代行することは決してできないでしょう。

自分の音楽的成長について考えるとき、あなたのレパートリーを作るプランもありますか?

私は10代のころからたくさんの偉大なアーティストと話をする幸運に恵まれました。彼らからのアドバイスで共通していたのが、40歳になる前に新しい曲を覚えるようにしなさいということでした。40歳を超えると新しい曲を覚えるのが少し大変になるからと。なので、17歳の時に私は40歳になる前に覚えたいレパートリーをすべて書き出しました。そのノートは今も持っています。もうすぐ30歳になりますが、書き出した曲の半分近くを覚えました。

ご自分の規律をしっかりと守っているのですね。

外国語を覚えるようなものです。若いうちの方が簡単に覚えられます。でも順番については具体的な計画はありません。次はベートーヴェンとブラームスをもっと覚えたいと思います。それからラヴェルのピアノ曲の全曲演奏はずっとやりたいと思っていましたが、ベルリンでやります。レパートリーはとてもたくさんあるので、ピアニストとして私はとても幸運です。

ベルリン・フィルのアーティスト・イン・レジデンスの期間中に、私たちは現在のあなたの主なレパートリーについてたくさん知ることになります。例えば、ブラームス、リゲティ、バルトークから成るハンガリーの室内音楽の夕べのようなものもあります。このアイデアはどのように出てきたのですか。

まず、私にとっては天国のようでした。というのも、私は自分が好きなようにプログラムを企画することができたのです。その室内楽の夕べは、実はハンガリー音楽のスタイルのパノラマとして意図したものでした。ブラームスの「ハンガリー舞曲」でよくわかるように、ブラームスはハンガリー音楽に触発されたことで知られています。私はブラームスのすべてが大好きですが、特にクラリネット三重奏曲が好きで演奏曲に選びました。これは、信じられないくらい美しい曲です。弦楽器以外の楽器との共演にも興味がありました。リゲティのヴァイオリン、ホルン、ピアノのための曲はエキサイティングな編成ですが、完璧にフィットしています。最後に、バルトークの五重奏曲は、パリで学んでいた19歳の時に発見した曲です。かなり初期の曲であまり演奏されておらず、バルトークっぽさはあまりありませんが、バルトークの音楽的未来を感じることができます。お客様がこのプログラムを楽しんでくれることを願っています。

もう一つの珍しいプロジェクトについてもお話しされました。一夜にラヴェルのピアノ曲全曲を演奏すると。それはまたとても大胆なプランではないですか。

確かに私にとって体力的にも精神的にも大変な努力を要するものです。そのため休憩を2回入れています。でもこのプログラムはずっと演奏したいと望んでいたものです。それに2025年はラヴェルの生誕150年なので、お祝いに丁度良いと思いました。

ラヴェルはどこか超然とした、むしろ謎のような人格でした。このようなラヴェルのピアノ曲の全曲演奏は、我々がラヴェルという人物に迫ることになると思いますか?

私は、ラヴェルは完璧主義者だったと思います。ラヴェルの曲は、想像力に富みロマンティックなドビュッシーの曲とは、ある意味かなり異なっています。一方ラヴェルは非常に明確なアイデアを持つ鋭敏な思想家でした。そして彼の音楽にはこの途方もなく豊かな色彩があります。ピアノの音楽でもオーケストラのサウンドが聴こえることがしばしばあります。

でも感情的な音楽でもありますか?あるいは、感情と完璧さは両立しないものでしょうか。

感情的になるにはたくさんの方法あると思います。例えば、私はチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を弾いている時、目の前に号泣している人が見えます。ブラームスの特に後期の曲を弾いている時は、その人が意気消沈するくらいとても悲しんでいることを感じ想像します。でも泣いてはいないのです。とても内向的です。そしてラヴェルの音楽も私に非常に感情的な影響を与えます。ここではやさしく微笑む人を想像しますが、彼の眼には涙が溜まっています。私たちの人生には、とてもたくさんの種類の感情があります。

アーティスト・イン・レジデンスとして活動する期間中にあなたがベルリン・フィルと演奏する二つのソロ協奏曲でも、このことが表されていますね。これ以上はないというほど表現が対照的なショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番とベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番です。

ベルリン・フィルと最も共演したい協奏曲は何かと聞かれた時、ドイツ音楽のレパートリーから1曲を含めるべきだということは私にとって明確でした。10代の頃から演奏してきた協奏曲で、ベルリン・フィルがすばらしい演奏をしてくれるだろうと確信しているベートーヴェンの協奏曲を決めたのはそういうことでした。ショスタコーヴィチの音楽についてはどうかというと、それは非常に皮肉なものです。私はブラック・ユーモアやブラック・コメディが好きで、友人も私の性格をやや皮肉屋だと言います。しかしこの曲にはブラック・ユーモアだけでなく、抒情的な深さもあります。

これが実際にはピアノとトランペットの二重協奏曲だということについてはどうですか。

それも気に入っている点です。ギヨーム・イェル(ベルリン・フィルの首席トランペット奏者)がソロトランペットのパートを吹きますが、初めてベルリン・フィルと一緒にツアーした時から彼を知っていますので、彼とこの曲を共演することを心から楽しみにしています。

ベルリン・フィルとの初めての共演に言及されました。2017年に、一回目はベルリン、その次のサイモン・ラトルの最後のアジア・ツアーでラン・ランの代役を務めた時のことですね。そして2023年11月には、ソウルでキリル・ペトレンコ指揮のベルリン・フィルと共演されました。この間にベルリン・フィルとの関係はどのように発展しましたか?

とても違うと言わねばなりません。デビュー公演は23歳の時で、ベルリンに引っ越した直後でした。私はとても緊張していて、サロン・ド・プロヴァンスのフェスティバルで知り合った樫本大進とエマニュエル・パユを除いてほとんど誰も知り合いがいませんでしたが、ツアーの間にオーケストラのことをよく知るようになって、とても楽しかったです。パンデミックの最中、2020年に、私たちはアンドリス・ネルソンスとオンラインコンサートで共演しました。無観客は、私にとって特別な経験でした。そして最後に、マエストロ・ペトレンコとの韓国公演がありました。あれは私にとって、たいへんな喜びでした。
私はこのオーケストラに最大の敬意を持っています。6年前より今の方がずっと一緒にいて心地よいです。彼ら皆、素晴らしい音楽家であり、素晴らしい人間です。

© Christoph Köstlin / Deutsche Grammophon

◆チョ・ソンジンのアーティストページはこちら
https://www.japanarts.co.jp/artist/seongjincho/

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