2025/9/1

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【現地レポート】イゴール・レヴィット ピアノリサイタル@ザルツブルク音楽祭

三者三様の「死」への夢想〜イゴール・レヴィット ピアノリサイタル

取材・執筆:加藤浩子

 イゴール・レヴィットのプログラムにはテーマがある。テーマ性のあるプログラミングは昨今では当たり前ではあるけれど、哲学的であること、そして深いという点でレヴィットは突出している。同じプログラムを何度も繰り返して練り上げてゆくのも特徴だ。
 今年後半、彼が同一プログラムで取り組む一連のリサイタルの初日をザルツブルク音楽祭で聴いた(8月27日)。プログラムはシューベルトのソナタ第21番、シューマンの《四つの夜曲》、そしてショパンのピアノ・ソナタ第3番。プログラムの解説(ヴォルフガング・シュテール)にもあるが、この3作は作曲家が「死」を強く意識した作品という点で共通している。自身の死(シューベルト)ばかりでなく、家族の立て続けの死(ショパン、シューマン)とその結果の精神不安定(シューマン)まで。ショパンをレヴィットが公開の場で演奏するのは初めてとのことで、これはちょっと意外ではあった。


 自身の「死」なのかどうかはわからないが、レヴィット自身が内面と向き合っていることを痛切に感じさせたのが前半のシューベルト。まろやかなタッチはレヴィットならではだが、ペダルを抑え、音はややドライでウッディ、夢見るように美しいテーマは長めのフェルマータや休符でしばしば遮られ、決して流麗に流れない。音楽の切れるところにある深淵を覗き込んで考えを巡らす。低音のトリルは幽霊のように微かに、そして不気味に響いて、楽章全体にまとわりつく。
 長大な第一楽章は耳をそばだてる瞬間に満ち、終わった後は思わず客席から拍手が沸き起こった。第2楽章は千変万化するピアニッシモの嵐。こちらも飲み込まれるように拍手が起こる。
 後半のシューマンとショパンでは、前半と対照的と言っていいほど音楽が流れ、色彩が豊かだった。メランコリックで多彩な音のパレット。繊細で滑らかなタッチ、細やかで均等な音の粒も、これらの作品の美点に寄り添う。作曲順に曲が配置されたのは、シューベルトとショパン、シューマンとの時差を際立たせる意図もあったのだろうか。
《夜曲》は、本作特有の、そしてシューマンならではの絶えず切り替わる気分が、細やかに施されたデュナーミク、タッチが変化を与えるスラーやスタッカートなどさまざまな手段を駆使し、可能な限りの広いレンジで鮮やかに打ち出され、この作曲家の幻想性が浮き彫りになった。各セクションが絵画的で、それぞれが「立っている」演奏なのだ。本作との関連性が指摘されるE.T.Aホフマンの影響にも思い至る。


 最後のショパンではレヴィットのヴィルトゥオジティに圧倒された。技巧をひけらかすわけでは全くないのだが、びろうどのような音の粒が湧き出て流れる自然さは驚異的な技術がなければ不可能だろう。ショパンがヴィルトウォーゾであったことも改めて思い知らされた。楽章間はほぼ続けて演奏され、全曲の統一性が強調される。不気味な瞬間がないわけではないが、最終的には全てが華麗な音の渦に飲み込まれる。それもまた、ショパンが意図していたことだったのではないだろうか。
 終演後はスタンディングオベーション。アンコールにはシューベルトの《即興曲》作品90の第3番が選ばれ、ソナタとは異なる穏やかに流れる音楽が直前の興奮を鎮めた。
 「死」が創作の糧になるのは当然のことだが、その表現がそれぞれ異なっているからこそ歴史に名前が残る。三者三様の個性を切り取ったレヴィットの演奏は、そのことに思いを馳せさせてくれた。
 レヴィットはこれからこのプログラムを携えてドイツやスイスなど数カ所を回り、11月の下旬に日本にやってくる。それまでには新たな深化を遂げていることだろう。絶えず変わりゆく音楽の現場を目撃できるその時が楽しみだ。 


《公演情報》
イゴール・レヴィット ピアノ・リサイタル
https://www.japanarts.co.jp/concert/p2165/
2025年11月25日(火)19:00 ミューザ川崎シンフォニーホール
2025年11月26日(水)19:00 東京オペラシティコンサートホール
2025年11月27日(木)19:00 東京建物 Brillia HALL 箕面(文化芸能劇場)大ホール


⇒ イゴール・レヴィットのアーティストページはこちらから
https://www.japanarts.co.jp/artist/igorlevit/

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