2021/2/12

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【国際音楽祭NIPPON2020】クラシックとモダンの結節点 ――諏訪内晶子の挑戦――


国際音楽祭NIPPON2020の室内楽プロジェクト、 2/15「Akiko Plays CLASSIC with Friends」と2/16「Akiko Plays MODERN with Friends」の 連続する2夜は、プログラミングが対称形をなしていることにお気づきいただいていますでしょうか。

例えば、 “ CLASSIC ” のバッハ「シャコンヌ」と、 “MODERN”のライヒ「ヴァイオリン・フェイズ」(エレクトロニクスやコンピュータを用いた音響表現 の第一人者、有馬純寿氏とのコラボ!)、ブラームスの三重奏曲とダルバヴィの三重奏曲、 もちろん、最後のピアノ五重奏曲も!また “MODERN” の川上統「甲殻」、諏訪内晶子のためにあらたに書き下ろされた「オトヒメエビ」(つまり諏訪内晶子をイメージした「オトヒメエビ」)は世界初演です。

今回の “CLASSIC” と “MODERN” のプログラミングの妙を沼野雄司氏(音楽学)が「クラシックとモダンの結節点―諏訪内晶子の挑戦―」としてまとめました。 新しいタイプの「演奏様式」の誕生を目撃する瞬間、聴き逃せません!


クラシックとモダンの結節点――諏訪内晶子の挑戦――

沼野 雄司(音楽学)Yuji Numano

 バッハやベートーヴェンの楽曲を奏するときにそれぞれの演奏様式があるように、20世紀の「現代音楽」にも、一種独特とでもいうべき演奏様式が存在している。

 たとえば、主情的なヴィブラートなどはなるべく避けて、「客観的」に楽譜に接すること、弧を描くよりも直線的に旋律を紡いでゆくこと、リズムをデジタルな感覚で鋭角的に処理すること、クレッシェンドやデクレッシェンドを短めの軌道で「シュッ」と決めること、アーティキュレーションをきつめに設定すること等々・・・。もちろんすべての奏者がそうしているわけではないけれど、多くの「現代音楽奏者」たちは、こんな風にして――すなわちバッハやベートーヴェンに接するのとは少々異なった作法で――現代曲を音にしてきた気がする。

 なるほど、それは創作の在り方とも連動した、20世紀後半ならではの演奏様式というべきなのだろう。筆者は決して嫌いではない。しかし時として、パキパキッと歯切れよく弾いておけば一丁あがり、といった風情の演奏に出会うこともあって、その時にはいつも、もっとふくよかで稠密(ちゅうみつ)でもよいのではないか、あるいはもっと艶やかで軟体的であってもよいのではないかと思ったりする。

 そして実際、21世紀も20年を過ぎようという現在、後者のような「ふくよかな」現代音楽演奏は確実に増えてきている。ベートーヴェンやブラームス、そしてドビュッシーやシュトラウスの延長線上で奏される「現代音楽」。そこでは旋律はゆるやかな弧を描き、リズムは躍動感を伴って微妙に伸び縮みするだろう。

 どちらのやり方が正しいという話ではない。しかし、ベートーヴェンの演奏様式にさまざまな可能性があるように、現代音楽の演奏にもさまざまな可能性があるわけで、表現の幅が拡がるのは良いことに決まっている。

 昨年、諏訪内晶子の弾く、エサ=ペッカ・サロネン「ヴァイオリン協奏曲」を聴いた時のこと。ミニマル音楽的ともいえる、細かい反復が延々と続く作品だが、彼女の演奏は一瞬たりとも無機的にならず、むしろ音の細胞が終始うごめくような、動的な表情が音楽を覆っていた。もちろん、サロネンの協奏曲が、現代曲の中では「伝統的」な作りであることとも無縁ではないだろうが、諏訪内晶子のヴァイオリンは、現代音楽ならではの危険なスリルや複雑性をきっちりと保持しながら、しかし同時に過去のさまざまな「ヴァイオリン協奏曲」の記憶、さらにはその熱情やふくよかさの感触を聴き手によみがえらせるものだった。

 今回の紀尾井ホールでの演奏会「Akiko Plays CLASSIC with Friends」「Akiko Plays MODERN with Friends」は、諏訪内晶子ならではのやり方で、古典から現代の連続性を示す2夜である。これまで基本的には古典派やロマン派の音楽を中心に活動してきた彼女が、そこで培った技術や息遣いを、丁寧に現代曲にフィードバックする過程。それは同時に、我々が新しいタイプの「演奏様式」の誕生を目撃する瞬間でもあるはずだ。

 2夜は相互に連携している。くっきりとした対称形のプログラミングがなされていることに注意されたい。

 いずれも幕開けは、諏訪内晶子ひとりがステージに立つ。“CLASSIC” はバッハの「シャコンヌ」。超有名曲にして、超難曲。一方、“MODERN”はスティーヴ・ライヒの「ヴァイオリン・フェイズ」。あらかじめ多重録音してあるパートを背景にしながら、独奏が一本の旋律の様々な可能性をあらわにしてゆく万華鏡音楽。なにより面白いのは、この2曲それぞれが、違なったタイプのポリフォニーを形成することだ。

 この印象的なプロローグに続いて、ブラームスの三重奏曲(CLASSIC)とダルバヴィの三重奏曲(MODERN)の対比が試みられ、さらに“MODERN”では日本の新鋭、川上統の「甲殻」が挿入される。諏訪内晶子が、日本の若い作曲家の作品を演奏することは珍しいが、さまざまな「甲殻類」(!)を描いたポップで企みに満ちた川上作品のユーモアは、おそらく古典の中には存在しない類のもの。今回、諏訪内のためにあらたに書き下ろされた「オトヒメエビ」も含めて、この曲集を彼女がどう料理するか、ぜひ注目されたい。

 そしてプログラムの最後は、ドヴォルザーク(CLASSIC)とオーンスタイン(MODERN)のピアノ五重奏曲。ボヘミアの民族色あふれる前者に対して、後者はロシアとアメリカのモダンの混合。演奏に体力を要する大曲であることを除けば共通点はなさそうなのだが、実は両者の作曲年代は、わずか40年しか隔たっていない。クラシックとモダンは意外に近いのである。

 そう、結局、ここで目指されているのは、クラシックのようなモダン、そしてモダンのようなクラシックということになろう。諏訪内晶子が「フレンズ」と共に2晩にわたってクラシックとモダンの結節点を探し、同時にその絶望的な差異を明らかにするに違いない。

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