2020/10/12

ニュース

  • Facebookでシェア
  • Twitterでツイート
  • noteで書く

「横山幸雄× ベートーヴェン―ピアノ・ソナタ全32曲連続演奏会に寄せて」前編

[この時期、多くの演奏会がなくなり、ベートーヴェンに対して失礼ではないか―これがピアノ・ソナタ全曲演奏を思い立ったきっかけです]

横山幸雄

こういう時期だからこそ挑戦したい

今年はベートーヴェン生誕250年のメモリアルイヤーにあたり、世界中の音楽家がベートーヴェンの作品をプログラムに組み、多くのコンサートが組まれ、ベートーヴェンイヤーが盛り上がるはずだった。だが、日本でもそれらがほとんど行われることなく、メモリアルイヤーももうすぐ終わろうとしている。
これに心を痛め、自身の敬愛するベートーヴェンに魂を捧げるべく、ベートーヴェンの誕生月である12月にピアノ・ソナタ全32曲連続演奏会を敢行しようというのが、横山幸雄の画期的な試みである。
「コロナ禍で、ベートーヴェンのメモリアルイヤーのコンサートがことごとくなくなってしまいました。ぼくはこの間、変なエネルギーがたまり、むやみに発散することもできず、どこにぶつけていいかもわからないおかしな状況に陥ったんです。この変なエネルギーはステージで発散し、いいエネルギーに変えるしかない。そこでベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏を思い立ったわけです。
7月ころに企画を提案し、関係者とじっくり話し合い、12月に実践することが可能になりました。記念の年なのに演奏会がなくなって、“ベートーヴェンに対して失礼ではないか”と思ったのがきっかけです。
最初はベートーヴェンの有名な5大ピアノ・ソナタの演奏も考えましたが、やるからには徹底したいと考え、2日間で全ピアノ・ソナタを弾こうという結論に達しました。もちろん、無謀とも思われるでしょうし、だれもやっていないことですから、ぼくも最後までやり遂げられるかどうかわかりません。でも、こういう時期だからこそ、ここまでの企画に挑戦したいのです。
これまでベートーヴェンのピアノ・ソナタは数多く演奏してきましたが、全曲はまだ弾いていません。通常の時期だったら、こういう無謀な計画はやりませんね(笑)。いまだからこそ、やる価値があるんです」
ベートーヴェンに関しては、1998年に「ベートーヴェン12会」を開始し、2005年にピアノ協奏曲全5曲マラソン・コンサート、2006年に後期3大ソナタ、2007年に5大ソナタ・リサイタル、2013年にベートーヴェン・プラスをスタートさせている。

レパートリーの2大柱はショパンとベートーヴェン

横山幸雄は常に挑戦し続けるピアニストである。しかも、その挑戦はギネスブックに載るほどの長時間におよぶ演奏や、質の高さを誇る。2011年にはショパンの確認されている独奏曲全212曲を約18時間かけて完全暗譜で演奏するという前代未聞のリサイタルを敢行し、その年末には前述のベートーヴェンのピアノ協奏曲全5曲とタイトルのついているソナタなどを演奏した。
まさに、エベレストに登頂するような凄さを見せている。しかし、ご本人に話を聞くと、「練習している間が一番大変で、本番はそれを思いっきり出すだけですよ」とケロリとしている。
彼はショパン国際ピアノ・コンクール入賞直後にデビューし、20代はショパンとずっと対峙してきた。そして20代の終わりになり、ベートーヴェンとじっくりと向き合うようになる。そして「レパートリーの2大柱はショパンとベートーヴェン」と明言するようになった。
ショパンはショパン国際ピアノ・コンクール入賞以後ずっと弾き続け、さまざまなシリーズも行い、内容をひたすら深めている。
「当時はショパンをもっと知りたいという気持ちが強かったんです。全曲を演奏することにより、ショパンに少しでも近づきたい、そんな思いで演奏していました。
その後、2005年にベートーヴェンのピアノ協奏曲全5曲を1日で演奏するマラソンコンサートを行い、このときに共演したジャパン・チェンバー・オーケストラのメンバーとともに、最後はこの演奏会が終わらなければいいのに、という不思議な高揚感にとらわれたのです。
作品番号順に第1番から演奏したのですが、第4番のコンチェルトあたりからぼくもオーケストラもぐんぐん加速して演奏に集中し、気持ちが高まっていきました。ぼくはスロースターターなので、エンジンのかかりが遅い(笑)。ようやく終わりころになって気分が最高潮になり、オーケストラとの音の対話が濃密になり、全員の間に演奏会が終わってほしくないという感覚が芽生えたのです」

横山幸雄
ソニー・ミュージックより発売中の横山幸雄「ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全曲」CD3枚組

リラックスしてのんびり聴いてくれればいい

学生時代は10時間ぶっ続けで練習していた横山幸雄。いまも聴衆に最高の音楽を届けたい、そのために神経を集中させて練習に没頭する。だが、体力も非常に大切。そのために大好きなテニスをして体調管理に努めている。
「スポーツはいろんなものが好きですね。ただし、複数の人数が必要なものはできないため、テニスや卓球、そして水泳になります。サッカーもすごく好きですが、これは無理。野球とかゴルフなどはほとんどしません。すごく動いたり走り回ったり、あばれたりするものが好きですので…」
練習に関しても一家言をもっている。
「自分が一番いい状態で練習に向えるよう、さまざまな工夫を凝らしています。本番では、自分がこう弾きたいというものと、練習の成果がかみあえば、幸せな時間が生まれると思います。ぼくも楽しみながら、ショパンやベートーヴェンになったつもりで演奏するつもりですが、聴きにきてくださるお客さまは、リラックスしてのんびり聴いてくれればいいと思っています。
なんといっても長時間ですから、ダラーっとして、ああショパンの子ども時代はこんなふうだったんだ、ようやく青春時代だ、いまは悩み多き時代なんだ、最後は奇跡的な傑作が生まれたんだ、ああ絶筆になってしまった、天に召されたんだと、偉大なる天才の一生をぼくとともに味わってくれれば、それでいいと思っています。
ベートーヴェンも同じ。彼の人生はものすごく過酷で生きざまが非常に個性的。それがすべて音楽に投影されていますから、それを聴き取ってほしい」
 長時間におよぶ演奏会では、スリッパやエアークッションなど、トラベルグッズ持参の聴衆も多い。なるべく疲れないよう、自分がもっとも演奏を聴きやすいよう、みんながリラックスきる物を持参してホールに足を運ぶ。
「夏休みに、海辺でボーっと一日寝転びながら地平線を見ていると、時間がゆったりと流れていくのがわかるでしょう。海の色が変わり、空も変わり、自分の気持ちも変わっていく。そんな感じを味わってほしいんです。
ショパンって、どれもいい曲だなあと思ってもらえればいいと思っていました。作品が出来上がっていく過程を楽しんでほしいのです。

横山幸雄

ピアノを弾くのは天から与えられた才能、それをまっとうしたい

今回のベートーヴェンはこれとはまったく異なり、もちろん時間的にも体力的にも大変ですから、この時期のこの作品だけを聴きたいと考えて、そこだけ聴きにきてくれる人も大歓迎ですよ。でも、ベートーヴェンの作品の変遷を味わう意味では、初期、中期、後期と聴いていただくと、全体像が見えると思います」
インタビューでは、いつも彼の確固たる意志を貫くことばを聞くことができるが、今回はこんなことばが印象に残った。
「ピアノを弾くというのが天から与えられた才能だとしたら、それをまっとうするのがぼくの使命だと思っています」
自分の生きかたをしっかり見据え、まっすぐにマイペースで突き進む横山幸雄。彼のベートーヴェンの演奏からは、その凛とした迷いのない姿勢がのぞくはずだ。

伊熊よし子(音楽ジャーナリスト)

◆横山幸雄のプロフィールは下記をご参照ください。
https://www.japanarts.co.jp/artist/yukioyokoyama/

ページ上部へ