2012/10/18

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ヤンソンス父子と日本

父子2代にわたり、かくもわが国のファンに愛されている音楽家は、稀ではなかろうか。
 父アルヴィド・ヤンソンス(1914~84)は、1958年レニングラード・フィル(現サンクトペテルブルグ・フィル)の指揮者として初来日して以来たびたび日本を訪れ、特に58、60、66年には東京交響楽団を指揮して、情熱的な名演を聴かせた。「ヤンソンスは東響を鉛から金に変えた」という有名な評は、その時に生れたものである。髪を振り乱し、顔から汗を飛び散らせながらの彼の指揮からは迫真の演奏が創り出されたが、それは決して力一辺倒でなく、緻密で厳しく引き締まった造型感をも兼ね備えていたのだった。
 そのアルヴィドが最後にレニングラード・フィルを率いて来日したのが1979年だが、一方、子息マリス(1943生)はすでにそれ以前、1977年にムラヴィンスキーと一緒に「常任指揮者」という肩書で同フィルと来日していた。そして全19回の全国公演のうち、少なくとも9回の演奏会を指揮していたのである。
 マリスは当時、34歳の若手。大ムラヴィンスキーの存在に隠れて、日本ではほとんど話題を集めなかったが、――しかしその若者が、やがて86年には同フィルの日本公演のすべてを指揮するまでになり、さらに長じては欧州の2大名門、バイエルン放送交響楽団とロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者を兼任する大指揮者となって、両楽団を交互に率いて毎年日本を訪れるようになることを、あの頃、だれが予想したであろうか?
 マリスは、ムラヴィンスキーを生涯の師として仰いでいたが、父アルヴィドから指揮を学んだことは一度もなかった、と言う。「でも同じ家に住んでいましたから、影響は受けましたし、父のリハーサルにも立会い、セミナーも聴講していました。家には父の日本からの土産がたくさん並び、父から日本での愉しい思い出をいつも聞かされていたので、私は子供の頃から日本に行ったような気持になっていたのですよ」※。

東条碩夫(音楽評論)
※マリスのコメントは、筆者とのインタビュー(1994年)から引用。

マリス・ヤンソンス
左:幼い頃、指揮をするマリス 右:父 アルヴィド・ヤンソンス

マリス・ヤンソンス指揮
バイエルン放送交響楽団
<ベートーヴェン 交響曲全曲演奏会 会場:サントリーホール>
□11月26日(月) 19:00 第4番&第3番「英雄」
□11月27日(火) 19:00 第1番&第2番&第5番「運命」
□11月30日(金) 19:00 第6番「田園」&第7番
□12月1日(土) 19:00 第8番&第9番「合唱付」

□12月2日(日) 15:00 横浜みなとみらいホール 第2番&第9番「合唱付」

日本公演詳細ページ
https://www.japanarts.co.jp/concert/p19/

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