2025/6/26
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【ロング・インタビュー】山田和樹/バーミンガム市交響楽団日本公演に寄せて
(c)Benjamin Ealovega
バーミンガム市交響楽団(CBSO)の日本ツアーがもうすぐ始まる。6月19日、バーミンガムのシンフォニーホールでの演奏会終演後、ツアーを目前に控えた山田和樹マエストロの楽屋にお伺いして、CBSOの魅力や、日本でのプロジェクトなどについてお話を伺った。
取材・執筆:久保歩(音楽ジャーナリスト/ロンドン在住)
- チャイコフスキー交響曲第5番の4楽章は第1主題が始まった途端、どの指揮者も追い立てるようなテンポをとられますが、山田さんは今日は余裕で構えておられました。
山田:CBSOと私には信頼関係ができています。もっと猛烈に走ることもあります。ですので団員たちは待ち構えているんです。演奏しながら次はどうなるのかと。私が本番でリハーサル通りにやらないことを知っています。リハーサルでは、ベーシックなことを、「ここは一応はこうするよ」という、基本プランを提示して詰めていきます。でも本番の演奏はまたその時の状況で変わります。ですから、昨日の夜も同じ曲をやりましたが、全然違う演奏でした。「今日はこうするからね」と言わないでやっているんです。それでも一糸乱れずオーケストラは演奏できるわけですから、すごいなあと感心してしまいます。彼らは注意深く、気を抜かずに私のことを見ています(笑)。
これは世界的にも珍しいケースだと思います。もちろん、指揮者とオーケストラがいい関係を続けている団体はたくさんあるでしょう。でも音楽を通じたコミュニケーションで、言葉を使わずにこれだけ変化をつけられるオーケストラは滅多にありません。確かに歌劇場のオーケストラであれば、ある一定の期間毎日同じ作品を演奏していても、歌手の体調など常に臨機応変に対応することを必要とされています。CBSOは歌劇場のオーケストラでないにもかかわらずそれに比肩する臨機応変さがあります。
それからCBSOは演奏には奏者たちの暖かい心が感じられます。このようなオーケストラはイギリスには他にないと思います。もちろんロンドンには優れたオーケストラがたくさんありますが、でも温かさというか、人間味を感じさせるオーケストラという点で、CBSOは他に類を見ないように感じるのです。そして舞台上の笑顔とみんなで音楽を楽しみたいという気持ちに溢れています。オーケストラの団員というのは仕事をしているわけですし、スケジュールが忙しく疲れていて、こちらから見ているとこの人たちは音楽を演奏していて本当に嬉しいのかと思うようなこともあります。その点CBSOは素晴らしい。「スマイル・オーケストラ」です。
- CBSOはバーミンガム市からの助成金がなくなったそうですが、それでも今年、山田さんが契約を2028/29年シーズンまで延長されたのは、こうしたこのオーケストラの特別な持ち味によるものでしょうか。
山田:指揮者とオーケストラとの関係は結婚のようなものです。夢を抱えた若者がいて、漫画家になりたいけれどなかなかなれず貧乏で、でも奥さんがじっと彼を支えているというような感じですね。ここまで来ると愛情の問題だと思います。形式的な結婚をして、「あなたは収入がなくなったから離婚よ」という、そういう世界ではないのです。自分ができることは全部やりたいし、助けられることがあれば助けたいと思っています。私たちは共同生活をしている、一緒に音楽生活を送っているわけです。まさしく結婚という言葉にふさわしい状態です。いろいろな「結婚」のスタイルがオーケストラと指揮者の間にはありますが、CBSOと私は最高に幸せな例だと思っています。世界で私のように幸せな指揮者はいないでしょう。その気持ちは財政難であっても変わりません。
お金はあるに越したことはないけれど、お金がありすぎて夢が減るよりは、なくて夢を追い求めていたほうがいいし、お金がないほうが夢があるような場合もあるじゃないですか。恵まれてしまうと人間、夢とか希望って追い求めなくなるのかもしれない。
先のことを心配して元気をなくしてしまうよりは、夢を追い求める、日本、ヨーロッパツアーをして「CBSOは元気です」と皆さんに知ってもらうことが大事だと思っています。団員たちもそれをよく認識していて、将来を悲観することはありません。本当にポジティブなんです。
- モンテカルロ・フィルのほうは任期を更新されないことに決められました。
山田:モンテカルロ・フィルはまだもう一年あり任期は2026年の8月までで、9月からベルリン・ドイツ交響楽団(DSO)の方が始まるので、CBSOと兼任するかたちになります。自宅がベルリンにあるので、ベルリン、モナコ、バーミンガムのトライアングルが結構大変なんです。直行便が頻繁にはないので。来年からは仕事場がベルリンとバーミンガムに集中されるので少しは楽になるかなと思っています。家族との時間も増えます。
- モンテカルロ・フィルには音色に独特のカラーがありますね。フランス人の批評家は「英国オーケストラの特徴は音にカラーがないこと」と言っていますが、先ほどCBSOの演奏を聴いていて、この発言は必ずしも当たっていないと思いました。
山田:そう、「ニュートラル」とかね(笑)。でも往々にしてイギリスはリハーサル時間が短いので、はい今はこれ、次はこの曲という感じになりやすいんです。ですから今日のような演奏ができるのは私とCBSOが長年に渡って築いてきた関係のおかげだと思います。音楽監督になったのは2023年ですが、実際には長いつきあいです。初めて呼ばれたのが2012年、それから2年おきに来ていて、2018年からは首席客演指揮者として年に4回は必ず来ていました。年に4回も来るともう家族同然です。
(c) Hannah Fathers
- エルガーのチェロ協奏曲でソロを演奏されたシェク・カネー=メイソンさんはイギリスの人気チェリストですね。
山田:以前の共演は2年ほど前でしたが、彼は進化していますね。それに彼は本当にピュアな人です。彼が音楽を愛し、音楽をやっている意味は深いところにあるような気がします。彼は素晴らしい指揮者と何回もエルガーの協奏曲を演奏しています。でもCDのように毎回同じではありません。今この瞬間に音楽を弾いているという感じがあります。そしてお客さんに大変愛されています。彼のことを日本の人たちにも知って欲しいと思い、今回ソリストとして行ってもらうことにしました。
- ロームミュージックファンデーション(RMF)と山田さんとの共同プロジェクトの一環として、CBSOの日本ツアーでは学生割引券が提供されます。
山田:他にも色々な取り組みがあります。まず、今日ヴァイオリンを弾いておられた福田麻子さん(第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンをローテーションで担当)がRMFの奨学生として昨日と今日2日間の演奏会に加わり、日本ツアーにも参加します。それから、アシスタント指揮者の伊東新之助さんがRMFの援助でツアーに同行します。音のバランスを聴いてもらったり、私がバランスを聴きたいときは逆に指揮をしてもらうといった役割があります。若手指揮者にとってはCBSOとそのようなことができるのはすごいことなんです。私が若い頃にそんなことをさせてもらったことはありません。指揮講座も行います。CBSOの8人の団員に演奏してもらい若手指揮者が指揮をして、私がアドヴァイスをするというものです。また、ショスタコーヴィッチの「祝典序曲」での「バンダ」と呼ばれる金管楽器のアンサンブルの補充のために地元の高校生の吹奏楽部が参加します。海外オーケストラの日本ツアーではこれまでになかった取り組みです。
様々な外国の有名オーケストラが日本に行っていますが、来て演奏して帰るというのが普通のツアーです。私はもう少しツアーの意味を広げて交流が持てないかと模索しました。音楽界は社会の中での必要性を訴えていく必要があります。社会とどう関わっていくのか、どうふれあいを持つかということを考えなければなりません。演奏を聴きに来てもらうだけではなく、オーケストラは社会に対して自分達から積極的にドアを開く必要があります。
- ヨーロッパの街では近年日本人の若い観光客が本当に少なくなりましたが、日本の若い音楽家はヨーロッパに留学したいという気持ちをまだ持っていると思われますか。
山田:私もたくさんの若い音楽家に意見を聞いたわけではありませんのではっきりしたことは言えませんが、ヨーロッパで勉強したいという若い音楽家は減ってきているという印象を受けています。大昔は留学するのが大変だったからこそ行きたいという気持ちが募っていたと想像しますが、今は飛行機に乗れば簡単に外国に行かれるようになって、彼らはいつでも行かれると思っているのではないでしょうか。それに日本にはいい先生も揃っていて、外国で違う空気や文化に触れて、別のことを吸収しようという、ハングリー精神が薄れているように思います。もちろんゼロとは言いませんが、昔の方がやる気があったように思います。若い子に聞くと「いつか行けたら」みたいな答えです。「いつかじゃなくて、今だ」と私は言いたくなるんですが。「考えてはいるんですけれど、お金がなくて」とかね。そういう問題ではないですよね。お金の問題ではなくて、やる気があるかどうかだと思います。インターネットが発達して、景色にしても何となく見た気になれる。そういうことも影響しているのかもしれません。でも肌で感じたり、実際の交流によって初めて得られることは絶対にあります。
私自身ヨーロッパに来たのは遅かったです。でも指揮者だからまだよかった。演奏家だったら私の年齢では遅すぎたでしょう。コンクールを見ればわかりますが日本人には優秀な音楽家がたくさんいます。ですから内向きになってしまってはもったいないと思います。そういいながら私自身引っ込み思案というか典型的な日本人で、いまだにシャイだと思います。20代のころは本当にシャイでいつか外国に行きたいと思っていましたが、なかなか足を踏み出せず、2007年にコンクールを受けた時、コミュニケーションがうまく行きませんでした。外国人に慣れていなくて、外国人恐怖症というのかな、英語もできなかったし、「自分の英語は通じるだろうか」と、ちょっとびくびくしていました。「通じるだろうか」なんて思っているうちは心が解き放れるわけがありません。それでコンクールで失敗して海外にでないとダメだと実感しこちらに来ました。別の扉があることは知っていたけれどそれを開けずにいた。でも実際にその扉を開いてみて素晴らしい世界が広がっていったわけです。もちろん扉を開いたからといってすぐにすべてのことがうまくいったわけではなく、それはそれでたいへんだったわけですが。
海外に出て自分が日本人であるということを余計に意識するようにもなりました。日本にいただけでは見られない日本の良さも見えてくる。そういうことで私自身は総合的な面から海外に出てきてよかったです。もちろん里は恋しいですよ。