2016/5/16

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テミルカーノフ指揮 サンクトペテルブルグ・フィル ショスタコーヴィチ:交響曲第7番<レニングラード>公演レポート

ユーリ・テミルカーノフ率いるサンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団が、6月初めに日本で13年ぶりにショスタコーヴィチの交響曲第7番<レニングラード>を演奏します。 同オーケストラはショスタコーヴィチの交響曲の幾つかを初演、テミルカーノフは作曲家本人から交響曲第13番の自筆譜を贈られたほど、ショスタコーヴィチと強く結ばれています。 テミルカーノフが本国ロシアでも特別な式典のときにしか演奏しない交響曲第7番。5月9日の戦勝記念日に行われた、フィルハーモニーホールでの公演レポートをお届けします。

テミルカーノフ指揮 サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団
ショスタコーヴィチ:交響曲第7番<レニングラード> 公演レポート

浅松啓介(在サンクトペテルブルグ) 

 かつてない静寂と押し寄せる感動。
 立ち見が出る程の超満員。そこに人がひしめいているとは思えない程の静寂が会場を包んでいた。人々は何を感じているのだろうか。
 5月9日。ロシアの戦勝記念日。サンクトペテルブルグの人にとって特に思入れ深いロシアの祝日で、この日に備え街は装飾され、人々はパレード行進用に祖先の写真を引き延ばしてプラカード状のものを作り準備をする。お祭り騒ぎではなく、粛々と厳かにこの日が迎えられる。朝から各家庭でテレビがつけられモスクワの赤の広場で行われる記念式典とプーチン大統領の演説を聴き入り、午後から各人が用意した戦争を経験した自身の祖先の写真を持ってネフスキー通りに集まるのだ。お昼過ぎに行進は始まり、ネフスキー通りの端から端まで皆一様にオレンジと黒の縞のリボンをつけて戦勝記念日を祝う。
 レニングラード封鎖を経験したサンクトペテルブルグ民。ドイツ軍らは街のすぐ外側まで包囲しており、2年半近くに及び街は閉ざされた。主要な劇場、フィルハーモニーは地方都市へ疎開を余儀なくされ、街は食糧難と貧困に苦しんだ。包囲された戦線には今でも戦車、防空壕など痛々しい傷跡が残っている。最近聞いた話しでは、戦線では路面電車の車両を防御として並べ敵の侵入を防いだそうで、その当時の車両が今もアフトヴォ駅近くに戦車とともに保存展示されている。サンクトペテルブルグで生活していると、観光地であるにもかかわらず、否が応でも戦争の陰を感じる場所である。
 このロシア人にとって意義深い祝日に、レニングラード封鎖時代に書かれたショスタコーヴィチの交響曲第7番が演奏された。会場には日中の行進に参加したであろう人たち、胸に勲章をつけ誇らしく座る老紳士とその夫人ら、普段とはまったく異なる厳かな雰囲気のホール。満員で立ち見が出る程なのに、異常に緊張し静寂を保っていたのが信じられないことだった。あの雰囲気を主導して作り上げていたのはまさしく5月9日が特別な日だという思いが共通してあったからだろう。
 祈りのこもった音。テミルカーノフ率いるサンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団は、あの巨大な編成でいて皆一つのものを目指していた。あるべくして出てくる音と言おうか、もうこの音以外にはあり得ないのだと言う説得力のある一音一音が凝縮されて、クリアで淀みない音楽を奏でる。ショスタコーヴィチの皮肉も、美しさを常にどこにでも見つけようとする欲求と、苦しさ、なにか全ての音楽のキャラクターが、これしかあり得ないのだと言う確信を持って迫って来る。技術や何か恣意的に作ったものではない音楽が聴衆と共有されていた。1楽章の再現部に戻ってきたときに、なにかミラクルが起きた。会場の我々の琴線に何かが振れ、涙を流し始めた人々が多かった。特別な瞬間が演奏中に実現したのだ。それは何度も楽章を変えて訪れ、3楽章の弦楽器が奏でるあの透き通った主題の冒頭と再現部で完全に打ちのめされてしまった。静かにわき起こる拍手の中には幾筋もの涙が流れていた。

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―至高の響き、その極み―
テミルカーノフ指揮 サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団

2016年5月30日(月) 19:00 サントリーホール
2016年6月2日(木) 19:00 サントリーホール

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