2020/2/18

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上原彩子 連載『私が知る、ピアニスト上原彩子』第3回

「音楽の友」(音楽之友社)にて掲載中の2022年のデビュー20周年を迎える上原彩子の短期連載『私が知る、ピアニスト上原彩子』。第3回目は、上原彩子の夫で調律師の齋藤孝史氏から見た「ピアニスト・上原彩子」を中心にお届けします。齋藤氏が始めて上原の演奏を聴いたときの衝撃、ピアニストとして活躍しながらも母として子供たちに愛情を注ぐ姿など、家族でありながらプロ同士、仕事でも向き合う齋藤氏が語るエピソードからは、上原のさまざまな面が垣間見える。調律師・齋藤孝史氏が語る上原彩子の素顔
夫の齋藤氏が調律師として語る上原の演奏の持ち味
2018年9月、茨城県日立市の日立シビックセンターでヴァイオリニストの川久保賜紀と上原彩子のリサイタルが開かれた。ブラームスの「ヴァイオリン・ソナタ第1番」から「同第3番」までを通すという意欲的なプログラム。川久保と上原はともに2002年のチャイコフスキー国際コンクールに出場し、最高位を獲得した「同期生」に当たる。

上原は午後3時にピアノの前に座って指慣らしを始め、「同第1番《雨の歌》」のリハーサルがスタートした。客席にいたのが(株)松尾楽器商会の調律師・齋藤孝史である。上原の夫である齋藤氏はスタインウェイの調律を担当しており、仕事として日立にやってきた。リハーサルの前に調律を終え、客席に座って音の響きを確認する。もちろん本番前や休憩時間にも調律を行う。二人が結婚したのは上原が25歳の時のこと。ピアニストとしては若い結婚である。

齋藤氏が初めて調律を担当して聴いた上原の演奏は、NHK交響楽団と共演したチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」だった。
「あんな『1番』は聴いたことがありませんでした。来日する世界的な名演奏家を含め、たくさんのピアニストがこの曲を弾きますので、僕たち調律師も聴く機会が多いけれど、彼女の演奏にはすっかり感動してしまったんです。その演奏によって彼女はN響の『ベスト・ソリスト』(2004年度)に選ばれました。150センチあるかないかの小さな身体は大柄な男性ピアニストに比べるとふた回りは小さく見えますが、出てくる音は遜色ないんです。すごい集中力だと思いました」

子育てと演奏活動の両立と自宅での練習
その後2人は結婚。21歳でチャイコフスキー国際コンクールに優勝し、これから華々しく活躍を続けるだろうと思われていた上原の結婚は、ちょっとした驚きをもって受けとめられた。しかも続けて3人の娘を出産。出産前もギリギリまでステージに立ち、予定をキャンセルしたことはない。

「たまたまN響とのコンサートのときに妊娠していた時期が重なって、『え、また生まれるの?』という反応もありましたね(笑)。三女はベートーヴェン『(ピアノ協奏曲第5番)《皇帝》』の本番(共演:船橋洋介指揮・東京フィルハーモニー交響楽団)の約3週間後に生まれました。妊娠中は重心がどっしりして良いんだと本人は言っていましたけれどね」

上原はインタビューのたびに子育てとの両立について訊ねられる。まわりは「1人でも大変な子育てを3人とは」と興味を持つのだが、本人はいたって自然体だ。自分は一人っ子として育ったので、娘たちがにぎやかに育っていくことが嬉しいという。家族で山登りをしたり、美術展に出かけたりと、休日はできるだけ共に過ごす。バレエを習っていた娘たちの求めで、チャイコフスキーのバレエ音楽をピアノで弾くこともあった(なんと贅沢な!)。

「練習は子どもたちが学校に行っている時間を使います。週末も含めて、あの子たちが起きている時間はコンサートの直前でもない限り練習はしませんね」(上原)

週末は練習を休むと聞いて驚いたが、特に問題はないという。もっとも、練習したいと思ったときには早朝や真夜中でもピアノに向かう。自宅の練習室にはヤマハのコンサートグランドピアノが置かれてており、調律は連載第1回・第2回に登場した鈴木俊郎氏が担当している。夫の齋藤氏はスタインウェイの調律師なので一切関わらない。

「練習量の多い彼女のピアノはガタガタになってしまうので、鈴木さんには申し訳ないです。弦はすぐ切れるし、調律は狂っちゃうし。家にスタインウェイのピアノを入れて僕が調律をしていたら、手に負えないくらいくたびれてしまうでしょうね」<ピアノの前で、上原彩子と齋藤孝史氏>

プロの演奏家・技術者として互いを尊敬しあう関係
ピアニストと調律師という立場で仕事場が一緒になることもしばしば。日立シビックホールでのリハーサルの際も、上原は会場の響きの状態を齋藤氏に確認していた。

「僕も技術者として気になる部分なので、響きを確認して調律をします。強い音、はっきりした音を出すのが彼女の望みだと思いますから。演奏は彼女のものだから余計な口出しはしないようにしていますが、ついつい言ってしまうこともあります。若いうちは先生や先輩方がいろいろ意見を言ってくださいますけれど、彼女くらいのキャリアになると言ってくれる人がいなくなってしまうので。僕の意見を受け入れるかどうかは彼女が決めることです」

最近では、3月25日に東京オペラシティコンサートホールで開催されるリサイタルの曲目について相談があった。上原はここ数年フォルテピアノに熱中しており、特にモーツァルトの演奏を追求している。そのためリサイタルを「オール・モーツァルトで構成したい」という強い希望を持っていたが、関係者の間では、人気のあるチャイコフスキーがまったく入らないことへの反対意見も多かった。

「そこで僕が、『ファンの方はコンクールで優勝した記憶もあるんだし、やっぱりチャイコフスキーを少し入れたら?』と言ったんです。それも訊かれたから言っただけ。普通は言いません」

結局上原は齋藤氏の意見を受け入れた。プロの演奏家とプロの技術者。それぞれが尊重しあって成り立つ関係である。もともと上原は、調律に関しても細かなことは言わない。「こんな感じの音が欲しい」と言うイメージを伝えてあとは調律師にお任せ。自分の音楽作りでも大きなイメージを持ち、演奏にどれだけ自分の気持ちを乗せていくかということを大切にする。

「演奏はもちろん子育てでも家事でも一生懸命。彼女の集中力のすごさは変わりません」

今では演奏活動のほか、後進の指導にもその集中力が発揮されている。

取材・文:千葉 望
「音楽の友 2020年2月号」(音楽之友社)より
第4回は「音楽の友 2020年3月号」に掲載中

上原彩子 連載『私が知る、ピアニスト上原彩子』
第1回第2回第3回第4回(最終回)

◆上原 彩子のプロフィールは下記をご参照ください。
https://www.japanarts.co.jp/artist/AyakoUEHARA
上原彩子 コンサートスケジュールはこちらから
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2022年デビュー20周年に向けて Vol. 1
上原彩子 ピアノ・リサイタル
2020年3月25日(水)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
公演詳細はこちらから – – – – – – – – – – – – – – – – – – –
ららら♪クラシックコンサート Vol.8 「4手6手ピアノ特集」~夢の競演でたどる音楽史~
2020年5月9日(土)14:00 サントリーホール
2020年6月20日(土)13:30 横浜みなとみらいホール
公演詳細はこちらから

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