2013/4/17

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【ヒラリー・ハーン ヴァイオリン・リサイタル】委嘱作品についてご紹介

ヒラリー・ハーン ヴァイオリン・リサイタルで演奏される委嘱作品についてご紹介いたします。

アントン・ガルシア・アブリル
“First Sigh” from Three Sighs
 “Tres suspiros (三つのためいき)” は、短い作品で構成されたあるプロジェクトの一部である。しかし、短いからと言って、それを創作することがより易しかったというわけではない。
これら “suspiros” を創っている間、さまざまな感情が湧き上がったが、それはなぜならば、私の作品を委嘱したヒラリー・ハーンは優れたヴァイオリニストであると同時に、深い精神性を持った芸術家であるからである。
 私たちのこの偉大なヴァイオリニストに対して、私は限りない称賛の気持ちを抱いている。それは、私たちが、優れたコミュニケーション能力を持った偉大な芸術家のみが伝え得るメッセージを心から感じ取れる、魔法のような瞬間から生まれるのである。
彼女に抱いているこの称賛の念は、この作品を創作するにあたって大きな影響力をおよぼした。ハーンの驚くべき寛大さのおかげで、過去の優れた芸術家たちが、歴史上の偉大なる創造者らの作品を演奏してきたように、今日の作曲家もその道に参加することが可能となったのである。
この作品は、形式の上では3楽章からなるマイクロ・ソナタとみなすことができるが、ユニークな特徴としては、三つのピースは同一のものでありながら、別個の作品として演奏することが可能なように組み立てられている。
 三つの楽章は、極めてポリフォニックな内容 に基づいており、それらは常に変化している。”Tres suspiros 「三つのためいき」” という題名は、それぞれの作品の簡潔さを表すものであり、同時に、おのおのの詩的で感情的な内容に由来する。
ありがとう、ヒラリー。

デイヴィッド・ラング
“Light Moving”
 アメリカの現代音楽を代表する巨匠と称されるはるか以前、フィリップ・グラスとスティーヴ・ライヒは、世から評価されない、薄給の若き作曲家としてニューヨークに住んでいた。ふたりは、生計を立てるために家具の運送会社を立ち上げ、それを「チェルシー・ライト・ムーヴィング(チェルシー軽運送会社)」と名づけた。私は、常にこの名前が気に入っていた。常に変化し続ける光が、チェルシーの通りをまだら模様に彩る詩的なイメージも良いが、もうひとつの意味も愛している。それは、「われわれは、作曲家だ!重い物の運搬は御免被りたい!」というものである。私の作品“Light Moving”が醸し出す穏やかな推進力を聴くことによって、彼らのニューヨークでの若き時代を思い起こさせてくれる理由を理解していただけるだろう。

大島ミチル
“Memories”
 サウンドトラックの作曲家である私は、まずヒラリーを映画の主人公としてイメージすることから始めた。どのような姿に見えるだろうかと。私の想像の中では、ヒラリー自身がこの世に生を受けてから今までにたどってきた道を印象深く思い起こしている様子が描かれる。このようにして、この作品が生まれた。

リチャード・バレット
“Shade”
 この曲は「アンコールのための作品」として委嘱されたものではあるが、伝統的なアンコール作品との共通点と言えば、その長さくらいである―ここでは、はるかに大きな作品が持つ性質を、三分間という枠組みの中にラディカルに圧縮し、その中には4つの別個の「楽章」がある。それらにおいては、ヴァイオリンとピアノとの間におけるおのおの異なった種類の音や構造的な関係が繰り広げられ、幅広い色彩と表現が探求される。一つ目の楽章では、ピアノのクラスター・コードの共鳴からヴァイオリンが繰り返し浮かび上がってくる。二つ目では、高い密度を持ちながらも繊細なピアノのテクスチュアに、ヴァイリンが複雑に糸を絡ませていく。三楽章においては、二つの楽器が短い出会いのシーケンスの中で、常時、素早く役割を交代していき、そして最後の楽章では、ヴァイオリンとピアノのそれぞれが徐々に極めて高い領域と低い領域に退いていく。一方の楽器が他方の楽器の影にいる点が、作品を通してみられる特徴だが、ある瞬間から次に移行する時に、どちらの楽器が影にいるのかがはっきりしない場合もある。この作品を創作している間に私の相手をしてくれていたのは、ヒラリーによるアルノルト・シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲だったが、この曲にも独自の “shade” が作品の最後の部分で、同じ作曲家によるモノドラマ「期待」のやや曖昧な形で出現する。

エリオット・シャープ
“Storm of the Eye”
 眼内閃光やファントム画像が硝子体腔の中で沸騰している様子が投射され、小規模の気象系が可聴音域に移調される。この作品で用いられている拡張されたヴァイオリン技法は、ヴァイオリンが他の楽器―打楽器、電子楽器、そして時によっては(特にピアノの演奏と組み合わさると)形容しがたいようなもの―に変容することを可能にする。しかし、必要な時には断片的な暗い旋律の暗示が大渦巻きから現れてくる。ミニ・コンチェルトである“Storm of the Eye”の9つのセクションは、より大きなプロセスのアークから切り取った時間のスライスとも呼べるものである。この作品は2009年、フロリダ アトランティック ・センター・フォア・ザ・アーツにレジデントとして滞在中に書いたものある。

ヴァレンティン・シルヴェストロフ
“Two Pieces”
 Con moto, poco rubato, dolce, leggiero, lontano― スコアの冒頭にあるこれらの用語は、私の作品のほとんどのものにおいて繰り返し登場するものであり、それはこの10年間に私が創作してきた多くの小品(さまざまなアンサンブルのために書いたもので、それらのほとんどはチクルスとしてまとめられている)に限らない。この時期を「バガテルの時代」と呼んでもよいだろう。ただし、この小さなジャンル(フランス語のバガテルは、「無害なつまらないもの」を意味する)は音楽的な無関係さのみを指すものではなく、崇高なるささいなことを表している―それは、ひとつの哲学全体、あるいは考え方を表しているのである。短い形式というものは、ある瞬間をそのままの形でとらえ、それをとどめることを可能とし、(ゲーテの名言、「時よ止まれ、汝はあまりにも美しい」より)その時にいわゆる“thematic elaboration (テーマの発展)”という負担を強要することはない。言い換えるならば、この音楽で最も大切な要素は、モメント・ミュージカルの発展ではなく、またその音色ですらなく、メロディー の明瞭さと独自性、さらにそれを認識し、思い返し、繰り返すことができる可能性にある。こうすることによって、外見上弱くみえるテキストが特別なものにみなされ、表現されるようになる―すなわち、通常は作品を支える技法である緩急法、テンポ、強弱法やペダルが前面に押し出されている。私がここで試みているのは、過ぎし日の音楽的スタイル、つまり、音楽的テクスチュアのシンプルなもの(三拍子、反復進行、三和音など)に多次元的で隠喩的な意味を与え、「新しい」含意にかかわらず、現代性を与えることなのである。沈黙から生まれ、そして沈黙に溶け込んで行くこの作品は、それを解釈する人たちや聴き手の認識にかつてない不思議な残響を残すことになるかもしれない。

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ヒラリー・ハーン ヴァイオリン・リサイタル【売切】
2013年5月14日(火) 19時開演 東京オペラシティ コンサートホール
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