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楽器の声を聞く演奏家 リフシッツの「響きの魔法」

昨年10月、銀座ヤマハホールで行われたリフシッツの演奏について、三宮麻由子さん(エッセイスト)からコラムが届きました。 リフシッツは、どんなピアノでも楽器の個性を最大限手の中に取り込み、使いこなしている印象だ。文鎮を持ったときのような重厚で質量のあるフォルテの和音があるかと思えば、オルゴールのような透明な響きで柔らかなピアニッシモを歌う。音の継ぎ目が分からないほど滑らかなつながりで左手を駆使し、うねりを作り出すこともある。

 そのような演奏を支える要素の一つに、細部まで計算されたペダル使いがある。まったく踏まない0%から、いっぱいに踏み込んだ100%までの間のメモリが、リフシッツの場合きわめて細かく分かれている。和音の変わり目では、変わった一瞬後に数パーセントだけペダルを緩め、前の余韻を残したまま次の和音を響かせる。そして響いた瞬間にペダルを緩めて「音の引き算」をし、余韻をきれいに消す。完全に踏みかえることもあるし、ほとんど動かないように見えるくらい微妙な調節で切り替えることもある。

 著名ピアニストのアルフレッド・ブレンデルが著書『楽想のひと時』のなかでリストの演奏について書いた件で、ペダルにビブラートをかけると述べている。リフシッツはまさに、そのような細やかさでペダルを使い、指と体の力によって生み出される音に色と伸びを加えている。ペダルは、あたかも魔法の呪文のように鍵盤に作用していく。リフシッツは、ペダルを体の一部として制御し、「響きの魔法」をかけているかのようである。

 しかし実は、そのすごさは、ペダルを踏んでいる、使っていると感じさせない淡白な音を出すときに最も感じられる。美しく弾いていると思ったとき、ただ指がうまく動いているのではなく、よく聞くとペダルをほんの数パーセント踏み込んでいることが分かったりする。ぼんやり聞いていれば、ホールの残響として聞こえてしまうほどの、小さく微妙な響きである。だが、それがあるかないかで、スタッカートやマルカートの響きはまったく違ってくる。全体の曲が1つのうねりとなるのがリフシッツの特徴だと思うが、そのうねりは、こうした細やかな動きの集合体なのである。

 今回演奏したベートーヴェンの作品は、この「響きの魔法」が存分にかけられていた。リストが憧れたというベートーヴェンの作品は、リフシッツの手にかかると、リストの和音を思わせる壮大なスケールで立体性を帯びてくる。この演奏を聞くと、リストがベートーヴェンの和音に聞いた奥行きを追体験できる。後半の「ディアベル」では、バッハのフーガを思わせるきわめて緻密で緊張感のある音の織物が綾を成していた。緻密でも、理屈っぽさを感じない。それどころか、伸びやかでどこまでも引っ張っていかれるような磁力が、リフシッツのフーガ技法にはあると思う。

 どんなピアノでもこのような世界を一瞬にして再現するには、楽器としっかり会話できている必要がある。リフシッツは、いつどこで演奏するときも、ペダルの踏み応えから鍵盤の遊びまで、一台一台のピアノの声を深く聞き、会話し、それぞれの音を十二分に引き出す。その演奏は、指が鍵盤に触れて音を出すところで始まり、余韻が鼓膜の奥行に戻るまでの循環が終わって、初めて完成する。リフシッツはよく、最後の和音が消えるまでじっと自分の出した音の行方を聞いている。それはこの循環の完成をきちんと待つからなのだ。

 怒涛のようなうねりのなかに、飛まつを散らしたような緻密な音の雫が舞う。その流れに耳を預けていると、大曲もあっという間に終わってしまう。聞き終えると、まるで大洋の航海を終えて下船するときのような、満ち足りた充実感に包まれるのである。


三宮麻由子(エッセイスト)
上智大学フランス文学科卒業。同大学院博士前期課程修了。
日本エッセイストクラブ賞、点字毎日文化賞他受賞。
エッセイ「そっと耳を澄ませば」、絵本「おいしい おと」等著書多数。
ホームページ:http://www006.upp.so-net.ne.jp/hashiyasume/

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コンスタンチン・リフシッツ ピアノ・リサイタル
2018年3月21日(水・祝) 13:00開演 紀尾井ホール
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