2016/10/6

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ミハイル・ペトレンコに聞く [マリインスキー・オペラ]

マリインスキー・オペラ日本公演開幕の日を指折り数える9月末、劇場の看板歌手のひとり、ミハイル・ペトレンコが東京交響楽団創立70周年記念公演「ファウストの劫罰」に出演するために来日しました。2日間の演奏会では、メフィストフェレス役として圧倒的な存在感を放つ歌唱で、客席を釘付けに。マリインスキー・オペラ日本公演への期待がますます高まりました。
ペトレンコは、一旦日本を離れてコロンビアで「トリスタンとイゾルデ」(ケント・ナガノ指揮)に出演後、再び来日してマリインスキー・オペラに出演します。
「ファウストの劫罰」のリハーサルの合間に、マリインスキー・オペラ日本公演への思いを語っていただきました。

ペトレンコさんは日本には何度もいらっしゃっていますね。
ええ、初めて日本に来たのは2002年、マエストロ・ゲルギエフの指揮で「ドン・ジョヴァンニ」を演奏会形式で上演したときです。以来、10回、もしかしたら15回くらい来ています。でも、マリインスキー・オペラの日本公演に出演するのは久しぶりですよ。

オペラのレパートリーは70役以上お持ちだそうですが、今回のマリインスキー・オペラ日本公演では『エフゲニー・オネーギン』のグレーミン公爵、『ドン・カルロ』の宗教裁判長役でご出演です。まず、グレーミン公爵についてお聞かせください。この役はペトレンコさんにとってどのような役でしょうか。
グレーミン公爵はバス歌手の真価が問われる、とても重要な役です。私はこの役が大好きです。グレーミン役の難しさは、アリアがたった1曲しかないことですね。登場するのは第3幕前半だけ、時間にしたらごくわずかですが、物語の中でとても大切な役割を果たします。たった5分のアリアの中に本当にたくさんの思いを込めなければならない、非常に難しい役です。

たった1曲とはいえ、グレーミンのアリアを楽しみに劇場にいらっしゃるお客様は多いですよね。
本当に。第3幕までお待ちいただくわけですから、皆さんの期待にしっかり応えられるよう歌わないと、といつも身の引き締まる思いです。

このアリアは、グレーミンの人徳の高さを表すように、とても穏やかな音楽です。
そうです。グレーミンは高潔な貴族で、タチヤーナを心から愛しています。さまざまな経験を積んで人生を歩んできて、ようやく自分の幸せを見つけた人です。グレーミンは年寄りというイメージでしょうが、実は40歳ぐらいで、私と同じ年なんですよ。でも当時のロシアでは40歳はすでに老人と考えられていました。彼は戦争も経験し、裏切りも絶望も、愛を失うことも知っている。現代の40歳よりも経験豊かな人で、そしてついにタチヤーナという愛を見つけたのです。グレーミンのアリアは、自分の幸せをオネーギンに語りかけるもので、その幸せをオネーギンと分かち合おうとしています。オネーギンとグレーミンは全く異なった性格を持つ、両極端なキャラクターです。それゆえドラマトゥルギーとして非常にうまくバランスが取れています。グレーミンという人がいるからこそ、『エフゲニー・オネーギン』は劇としても音楽としても調和し、成功しているのです。グレーミンがいなければ情熱ばかりのドラマで終わってしまいますから。芸術には均衡を保つ要素が必要で、『エフゲニー・オネーギン』でその役割を担うのがグレーミンなのです。

『エフゲニー・オネーギン』の原作はプーシキンの韻文小説ですが、オペラの歌詞も韻を踏んでいて美しいですね。
そうですね。『オネーギン』に限らずすべてのオペラは言ってみれば詩的なテキストであって、詩ではないオペラの歌詞を探すほうが逆に難しいと思いますよ。ちなみに『エフゲニー・オネーギン』は「オペラ」ではなく「叙情的情景」という題が付けられているんですよね。ラーリン家の庭、タチヤーナの部屋、ラーリン家の舞踏会、決闘、ペテルブルグの舞踏会などといった情景ごとに物語が構成されています。おもしろい形式だと思います。

グレーミンのアリアの音楽的な難しさはどんなところでしょう?
ずっと抒情的に歌い続けなければならないことです。アリア1曲が3つのフレーズから成っていると思ってください。その1つのフレーズが、2~3小節ではなく2ページも続くようなものなのです。そのフレーズが途切れないように歌うことがすごく難しいです。

ちなみに、ペトレンコさんがグレーミンを初めて歌ったのはいつですか?
音楽院時代にアリアにチャレンジしてみましたが、「歌った」と言える出来ではなかったですね(苦笑)。やはり学生には難しかったです。当時は低音を出す方が得意で、高音が苦手でした。なので、アリアの高音部が歌えなかったんですよ。
プロとして最初にグレーミンのアリアを歌ったのは、コンサートでした。オペラの舞台で最初に歌ったのは、2011年、アムステルダムのネザーランド・オペラ(現オランダ国立オペラ)です。マリス・ヤンソンスに招かれ、彼の指揮のもと、ヘアハイムの演出で歌いました。この公演のために2か月間、グレーミンのアリア1曲だけを練習したんですよ! …といっても、マリインスキーとの契約もありましたから、実際には、ときどきペテルブルグに帰って舞台に立ってはアムステルダムに戻ってアリアを勉強するという日々でした。グレーミンだけ歌っていたら気分的に息が詰まってしまいそうになるので(苦笑)、合間にペテルブルグで他の作品を歌うことも勉強になりました。いずれにしても、2か月間ほぼグレーミンのアリアしか歌わないというクレイジーな準備期間を経て、初めての舞台に臨んだのです。おかげでなんとか納得がいくように歌えました。

今回上演するステパニュク演出の舞台で歌ったことはありますか?
このプロダクションに出演するのは日本公演が初めてです。ステパニュクは何回か『エフゲニー・オネーギン』を演出しているので、音楽院時代になら彼の演出に出演したことがありますけれど。あのときは、決闘の場面に登場するザレツキー役(レンスキーの介添人)を歌いました。
ロシアにおけるプーシキンの『エフゲニー・オネーギン』は、ドイツでいうところのゲーテの『ファウスト』と同じです。読めば読むほどおもしろく、顕微鏡で見るように細部を分析していくと、さまざまなことがわかってきます。研究材料としてはもってこいで、だから演出家は新しいプロダクションを何回も作りたくなるのでしょうね。

次に『ドン・カルロ』についてうかがいます。宗教裁判長役を最初に歌ったのはいつですか?
グレーミンよりずっと前です。たしか15年くらい前にマリインスキー劇場でだったと思います。宗教裁判長は、どんな年齢でも歌いやすい役ではあります。

ペトレンコさんはフィリッポ2世もレパートリーになさっていますね。
はい。今回上演するコルセッティ演出では、これまでほとんどフィリッポ2世として出演しました。フィリッポ2世と宗教裁判長は、全く違う役です。唯一の共通点は両方ともバスということ、それだけですね。

宗教裁判長は、絶大な権力の持ち主です。王であっても宗教裁判長の命令には逆らえませんね。
そうです。フィリッポ2世と宗教裁判長の二重唱の最後で、フィリッポ2世は2オクターヴの音域に渡るフレーズを歌うのですが、その歌詞の内容がまさに「王ですら教会の前に頭を垂れなければならないのか!」です。宗教裁判長は、言ってみれば、教会の化身です。当時は教会が政治をも制しており、王も教会にひざまずかなければなりませんでした。そんな政治体制を描く「ドン・カルロ」はとても革命的な作品だと思います。政治と愛がぶつかり合って燃え上がる炎に、教会がさらに油を注ぐ状況で、結局ロドリーゴも教会によって殺されてしまいます。フィリッポ2世は弱い人です。彼はすべてを正しい方向に導きたいし、愛も欲しいのだけれど、間違ったことに対して「ノー」を言う勇気がありませんでした。

今回フィリッポ2世を演じるのは、名バス歌手のフェルッチョ・フルラネットさんです。フルラネットさんと共演したことはありますか?
ありますよ。2008年にパリのオペラ座で、まさに『ドン・カルロ』でフルラネットさんがフィリッポ2世、私が宗教裁判長でした。フルラネットさんのフィリッポ2世はすばらしいですから、今回の共演も楽しみです。

ヴェルディのオペラは世界中のオペラハウスの重要なレパートリーですが、マリインスキー劇場が上演するヴェルディ作品の魅力はどんなところにあるでしょう?
マリインスキー劇場には、イタリア・オペラの上演に関して長く豊かな歴史があります。もしかするとイタリアの劇場よりも古くから続いているものもあるかもしれません。マリインスキーのヴェルディ作品は、そのような伝統の上で上演されています。また、今の時代、音楽はコスモポリタンなものになっていて、ヴェルディは国に関係なく、世界中みんなの財産になっています。もちろんそれぞれの国民性がいい意味で彩りを添えることはあるでしょう。でも、歌手でも演奏家でも、よい音楽性を持っていなければ人の心に届く音楽にはなりません。たとえばオーケストラでいうと、ベルリン・フィルはドイツのオーケストラですけれど、ベルリオーズやサン=サーンスといったフランスの作品や、ムソルグスキーなどロシアの作品でも素晴らしい演奏をしますよね。オペラについても同じことが言えると思います。マリインスキー劇場が上演するヴェルディの魅力、それは実際に公演を観て聴いていただければわかるはずです。

ペトレンコさんはマリインスキー劇場で歌って何年ですか? 
最初は劇場のアカデミー生でしたから、長いこと歌っています。来年5月で19年です。私は早いうちから外国で歌っていますが、自分が歌手のキャリアをスタートした劇場ですし、ペテルブルグに生まれ、今も住んでいる身としては、やはりマリインスキー劇場は生まれ故郷、家のような存在です。

世界の名歌劇場で活躍するペトレンコさんにとって、マリインスキー劇場とは?
マエストロ・ゲルギエフが私を信じてチャンスをくれた劇場であり、私の仲間たちも同じようにマエストロに見出されてマリインスキー劇場に育てられました。マエストロとマリインスキー劇場は私たちにいろいろな役を与えて多くのステージを踏ませてくれ、名歌手たちと共演させてくれました。さまざまな角度から私たちをサポートしてくれた劇場です。おかげで、みなさんご存じのように、マリインスキー出身の多くの歌手がいま世界中で活躍しています。メトロポリタン・オペラもミラノ・スカラ座もパリのオペラ座も私は大好きですが、マリインスキー劇場は他の劇場とは全く違います。マリインスキー劇場は、生涯、私の中で特別な存在としてあり続けるでしょう。

ラトルやバレンボイムなど世界的な指揮者と多く共演しているペトレンコさんですが、ゲルギエフの指揮で歌うときはどんな感覚なのでしょうか。
マエストロ・ゲルギエフの指揮は、いつも歌いやすくて、とても居心地が良いです。マエストロも私もお互いをよく知っていますから、とてもくつろいだ気持ちになるんですよ。たとえば演奏会形式でオペラを上演するとき、マエストロは歌手の背後で指揮していますが、それでも私は落ち着いてのびのびと歌えます。つまり、マエストロの指揮棒を見なくても意思の疎通ができて、とても歌いやすいんですよ。

以心伝心で歌えるのですね。マリインスキー劇場で育った他の歌手の方々もきっとそうなのでしょう。素晴らしいです。もうすぐ始まる日本公演、とても楽しみにしています!

取材:榊原律子(音楽ライター)
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マリインスキー・オペラ 来日公演2016


「ドン・カルロ」
10月10日(月・祝) 14:00/10月12日(水) 18:00
「エフゲニー・オネーギン」
10月15日(土) 12:00/10月16日(日) 14:00
公演の詳細はこちらから

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