ホームページサンプル株式会社のサイトです

最後のコンチェルト
ライブ収録CDリリース

「Hiroko Nakamura Foreber」
2016年12月7日最後のコンチェルトをLive収録したCDが発売されます。

詳細を確認する

メモリアル・コンサート出演者メッセージ

2016年12月11日のメモリアル・コンサートに出演する上原彩子、横山幸雄、河村尚子、漆原啓子、堤剛からのメッセージ

詳細を確認する

ファンの皆さまから
天国の紘子さんへ

2016年9月12日に執り行われた「偲ぶ会」でファン方々が天国の中村紘子さんへメッセージを寄せました。いくつかご紹介します。

詳細を確認する

中村紘子
メモリアル・コンサート開催

「偉大な芸術家の思い出に」2016年12月11日中村紘子のメモリアル・コンサートをサントリーホールにて開催いたします。

詳細を確認する

中村紘子 メモリアル・コンサートについて


 2016年7月26日、ピアニスト中村紘子が天国へ旅立った。世界を舞台に繰り広げられた華やかな演奏活動、まるで軽やかに音楽を奏でるかのように言葉を綴った文筆活動、その経験と感性を惜しみなく次世代に注いだ教育活動・・・この偉大な芸術家は、失うには早すぎる存在だった。
 2016年12月11日、故人のリサイタルが予定されていたこの日に、中村紘子ゆかりの演奏家が集いメモリアル・コンサートが開催される。モーツァルト:ピアノ・ソナタ K. 310は、亡くなったその日、主を失った自宅のピアノにその譜面が残されていた楽曲。中心的なレパートリーであったショパン、ラフマニノフの名曲。そして、海野義雄(ヴァイオリン)、堤剛(チェロ)と組んでの名演が語り継がれるチャイコフスキー:ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出に」が、堤剛本人の出演も叶い演奏される。中村紘子が情熱を注いだ浜松国際ピアノアカデミーから羽ばたいた上原彩子・河村尚子、現在の日本の音楽界を確かな歩みで牽引する名手、横山幸雄・漆原啓子らによって、故人の思い出がつまった名曲の数々が鮮やかに奏でられるメモリアル・コンサート。中村紘子が遺したものに思いを馳せ、それを引き継ぐ演奏家たちの音色に音楽界の明るい未来を聴く。

2016年12月11日(日) 14:00 サントリーホール
<出演>
上原彩子 (ピアノ) / 横山幸雄 (ピアノ) / 河村尚子 (ピアノ)
漆原啓子 (ヴァイオリン) / 堤剛 (チェロ)

中村紘子 メモリアル・コンサートの詳細はこちらから



【動画】2015年6月19日 中村紘子 トーク&コンサート 「ロシアの六月」



中村 紘子 「年譜」


4歳直前に「子どものための音楽教室」(桐朋学園の前身)入室。井口愛子に師事

1952 年 レオニード・コハンスキーに師事

1954 年 全日本学生音楽コンクール・ピアノ部門、小学生の部第1位
1958 年 同コンクール、中学生の部第1位
1959 年 第28回音楽コンクール(現・日本音楽コンクール)
       ピアノ部門第1位特賞(楽壇デビュー)
1960年 桐朋学園高校音楽科入学
       東京フィルとベートーヴェン《ピアノ協奏曲第3番》で正式デビュー
       NHK交響楽団初の世界一周コンサートのソリストとして参加。

1961 年 第1回リサイタルを東京文化会館大ホールで開催。
1963 年 ジュリアード音楽院に入学、ロジーナ・レヴィンに師事
1965 年 第7回ショパン国際ピアノ・コンクールで入賞、最年少者賞受賞
1967 年 矢代秋雄《ピアノ協奏曲》を初演(若杉弘指揮NHK響)
1968 年 CBS・ソニー創立と同時に初の専属アーティストとなる。
1969 年 N響と北米、ソ連でコンサート
1970 年 ロヴィツキ指揮ワルシャワ・フィルと日本各地で共演、録音も行なう。
1971 年 ショパンの権威ステファン・アスケナーゼに師事。
1972 年 N響ヨーロッパ・ツアーにソリストとして参加。
1974 年 海野義雄(Vn)堤剛(Vc)とトリオを結成。
       芥川賞受賞作家、庄司薫と結婚

1976 年 ソヴィエト演奏旅行
1977 年 矢代秋雄《ピアノ協奏曲》の2度目の録音。
       レコード・アカデミー賞受賞
1978 年 4度目のソヴィエト演奏旅行。
1979 年 「プラハの春」音楽祭に出演。
1980 年 東京芸術祭で2晩に6曲のコンチェルトをN響と共演。
1981 年 日中文化交流の音楽使節団メンバーとして中国を初訪問。
1982 年 アメリカ、東ドイツで演奏旅行
       チャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門で日本人初の審査委員を務める
1983 年 スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立響と日本で共演。
       定期演奏会へ招待を受ける。
1984 年 デビュー25周年記念リサイタル(東京文化会館)
1985 年 モスクワにてソヴィエト国立響定期演奏会に出演。
1986 年 コシュラー指揮スロヴァキア・フィルと全国各地で共演。
       チャイコフスキー国際コンクールの2度目の審査委員
1987 年 東京クヮルテットと全国各地で共演。
       ロンドンで、スウィトナー指揮ロンドン響と共演。
1988年 ヘルシンキ・フィル、ベルリン国立歌劇場管弦楽団
       チェコ・フィルの3つのオーケストラと全国各地で共演。
1989 年 デビュー30周年記念リサイタルを皮切りにショパン全曲演奏を開始
       初の著書『チャイコフスキー・コンクール』が第20回大宅荘一ノンフィクション賞を受賞
       イスラエルのルービンシュタイン・コンクールの審査委員
1990 年 「ポーランド支援コンサート」を全国で開催。
       スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立響と日本各地で共演
       チャイコフスキー、ブゾーニ、リーズ、ショパン各コンクールの審査委員
1991 年 コーガン指揮モスクワ国立響
       サヴァリッシュ指揮ウィーン交響楽団等と共演。
       ジーナ・バックアウアー、台湾ショパン・コンクールの審査委員
1992 年 スヴェトラーノフ指揮ロシア国立響と全国で共演。
       著作第2作『ピアニストという蛮族がいる』が文藝春秋読者賞を受賞
       ルービンシュタイン、シドニー、東京国際コンクールの審査委員
1993 年 ウィーン放送響日本公演で共演。
       東洋人初の「ルービンシュタイン・ゴールドメダル」受章。記念演奏会開催。
       日本人初の「ポーランド共和国コマンダリー勲章」受章
1994 年 デビュー35周年記念リサイタル(浜離宮朝日ホール)
       著作第3作『アルゼンチンまでもぐりたい』出版
       マリア・カラス、北京国際、浜松国際コンクールの審査委員
1995 年 阪神淡路大震災の被災者支援のためリサイタルなどを開催。
       第2回若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクール(仙台)
       芸術監督&審査副委員長
       ショパン、ロン=ティボー各コンクールの審査委員
1996 年 ノルウェーでキタエンコ指揮ベルゲン・フィルと共演。
       音楽監督として「浜松国際ピアノアカデミー」開催。
       シドニー、リーズ各コンクールの審査委員
1997 年 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全曲演奏会(東京都響)
       ヴァン・クライバーン、浜松国際各コンクールの審査委員(浜松は審査委員長)
1998 年 長野冬季オリンピック記念演奏会でベルゲン・フィルと共演。
       ルービンシュタイン、チャイコフスキー各コンクールの審査委員
1999 年 デビュー40周年記念リサイタル
       著作第4作『どこか古典派(クラシック)』出版
       北京国際コンクールの審査委員
2000 年 ハンガリー国立フィル日本公演で共演。
       ショパン、浜松国際各コンクールの審査委員(浜松は審査委員長)
2001 年 ビエロフラーヴェク指揮プラハ響
       フェドセーエフ指揮モスクワ放送響と全国で共演。
       ルービンシュタイン、スコットランド、上海の各コンクールの審査委員
2002 年 イタリア・ベッリーニ劇場でコンチェルトを演奏。
       モーツァルト・コンクール(ザルツブルク)審査委員
       彩の国さいたま芸術劇場「ピアニスト100」シリーズ音楽監督就任。
2003 年 新たにエイベックスと専属契約を結ぶ
       NHK人間講座をもとにした著書『コンクールで会いましょう』刊行
       リーズ、浜松国際各コンクールの審査委員。(浜松は審査委員長)
2004 年 デビュー45周年記念リサイタル
       ビエロフラーヴェク指揮プラハ・フィル及びクライツベルク指揮ウィーン交響楽団と各地で共演
       エイベックスよりデビュー45周年記念CD、DVDを発売
2005 年 ルービンシュタイン、ショパン各コンクールの副審査委員長
       エクソンモービル音楽賞受賞。
       小林研一郎指揮マリインスキーフィルハーモニー管弦楽団と全国ツアー
2006 年 ダブリン及び浜松各コンクールの審査委員。(浜松は審査委員長)
       エイベックスよりCD「モーツァルト:ソナタ集」を発売。
2007 年 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全曲演奏会を1日で行なう。(大友直人指揮東京都交響楽団/東京文化会館)
       海野義雄、堤剛とトリオを再結成し、全国ツアー、
       チャイコフスキー、上海各コンクールの審査委員。
2008 年 コウト指揮 プラハ交響楽団及びフリューベック・デ・ブルゴス指揮ドレスデン・フィルと
       国内各地で共演。紫綬褒章を授与される。
2009 年 9月にデビュー50周年を迎え、記念公演ツアーを開始。
       恩賜賞、日本芸術院賞を受賞。
       浜松国際ピアノコンクール審査委員長
2010 年 デビュー50周年記念公演を7月までに全国各都道府県にて約80公演行なう。
       ポーランド共和国文化勲章
       「グロリア・アルティス」ゴールドメダルが授与される。
2011 年 ソウル、ルービンシュタイン、ブリスベン各コンクールの審査委員を務める。
       東日本大震災チャリティコンサートを、サントリーホールや仙台にて行なう。
2012 年 ヴィット/ドヴォジンスキ指揮 ワルシャワ・フィルとの日本ツアーを行なう。
       ヒルトン・ヘッドコンクールの審査委員を務める。
       サントリーホールにて、「音楽とともに~外山雄三の世界」と題した。
       NHK交響楽団の公演において、外山雄三作曲ピアノ協奏曲を演奏。
2013 年 パデレフスキ、ボンの各コンクールにて審査委員を務める。
       12月、ワルシャワにてリサイタルを開催。
       (ワルシャワ・フィルハーモニック・コンサートホール)
2014 年 2月、大腸がんが見つかる。以後、治療を続けながら演奏活動を行なう。
2015 年 1月、東京交響楽団と36年連続37回目となるニューイヤーコンサートを行なう。
       9月、デビュー55周年を迎え、記念CDをリリースする。
2016 年 3月、音楽監督を務めた浜松国際ピアノアカデミーが第20回目を迎え公開レッスン等を行なう。
       4月、日本パデレフスキ協会を発足させ、副会長として記者会見に出席。
       4月30日及び5月4日、飯森範親指揮東京交響楽団と川崎と八王子で共演。
       5月8日、兵庫県洲本市にて最後のリサイタルを行なう。
       7月26日、大腸がんのため逝去
       旭日中綬章が授与される。