2017/8/17

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横山幸雄 インタビュー:「ベートーヴェン・プラス」シリーズについて

 近年の横山は、春と秋に東京オペラシティのコンサートホールで大きな演奏会を行なっている。春にはショパンを取り上げ、ギネス記録にも認定される演奏会もあった。そして秋の演奏会については、2013年から「ベートーヴェン・プラス」シリーズを始めた。
 秋の公演では、2005年にベートーヴェンのピアノ・コンチェルトを全曲演奏し、リストのメモリアル・イヤーの頃にはリストにも取り組みました。その過程で、テーマをひとつに絞ってみようと考えるようになり、久しぶりにベートーヴェンを取り上げようと思いました。毎年1回公演を続け、ベートーヴェンの生誕250周年、つまり2020年に彼のピアノ作品全曲の演奏を完結させます。ベートーヴェンは、他の作曲家にも大きな影響を与えた作曲家なので、彼と結びつく作曲家やその作品を合わせて、『ベートーヴェン・プラス』としてみました。

 今年の「ベートーヴェン・プラス」は、2つのコンセプトを軸としている。ひとつはベートーヴェンの第13番から第18番までのピアノ・ソナタとその周辺。もうひとつは、彼の「幻想曲風ソナタ」とつけられた第13番と第14番のピアノ・ソナタにちなみ、ほかの作曲家たちの「幻想曲」である。
 横山の演奏会のスケールは壮大だ。長いプログラムから見えてくるものとは何なのか?

 作曲家とその人生、そして作品の変遷は密接に結びついているのです。今回、ベートーヴェンのピアノ・ソナタを6曲演奏します。ベートーヴェンが耳の病への覚悟を決めた頃から、『ワルトシュタイン』や『熱情』の一歩手前までの創作です。『月光』だけ、また『テンペスト』だけを取り上げてもわからないけれど、6曲演奏するとわかることもあると思います。例えば「『テンペスト』がある!聴きたいな」と思う人が、その作品の前後にベートーヴェンがどんな曲を書いているのかも併せて聴いていただくと、『テンペスト』の別の側面も見えてくると思います。また作品番号の都合上、プログラムには《バガテル》や《プレリュード》も入れました。

 第13番から第18番には、ベートーヴェンが自身の中期様式へ向かう前の、さまざまな実験的な試みが見られる。例えば、第15番「田園」では、ロマン派的な柔らかい表現も見られる一方で、第17番「テンペスト」ではレチタティーヴォの表現が取り入れられている。
 一般的に知られているベートーヴェンの音楽は、とてもドラマティックな要素が強いですけれど、例えば第16番には非常にユーモラスな側面もあるなど、とても革新的な実験がみられます。

 第13番と第14番「月光」は作品27で括られ、ともに「幻想曲風ソナタ」と呼ばれている。
 第13番は、何楽章形式と捉えるか。4楽章構成と捉えるのが普通なのかもしれませんが、ソナタ全体が単一楽章のような形で進む曲は、それまでにはあまり例がありません。だから「幻想曲風ソナタ」なのだと思うのです。リストの《ピアノ・ソナタ》は、ベートーヴェンのこの作品と同じ形で書かれています。つまり、ベートーヴェンの第13番のピアノ・ソナタは、それらの先駆的な作品だと言うこともできます。

 この秋のベートーヴェン・プラスでは、まさにベートーヴェンの聴力が悪化し、絶望的な時期の創作が並ぶ。
 第14番『月光』の第1楽章は少し打ちひしがれているような曲だけれど、第3楽章ではそれに対する怒りがあったり、第17番『テンペスト』の第1楽章などは、1つの楽章のなかでさまざまな感情が入り混じっています。その一方で、第15番『田園』のような牧歌的な作品もあるのは、ベートーヴェンが何か救いを求めているようなところもあると思うし、それこそ第16番などは、そういうものを忘れて弾け飛んでいるかのよう。そして第18番の終楽章などは、ほとんど躁鬱の躁状態…とてもハイテンションです。そういう浮き沈みの激しい面も、ベートーヴェンの音楽の特徴です。

 今回のプログラムは《ピアノ・ソナタ 第13番》、つまり「幻想曲風ソナタ」に始まる。第3部まではベートーヴェン作品で構成され、第4部と第5部ではさまざまな作曲家による「幻想曲」を取り上げる。
 今回、「幻想曲風ソナタ」の“風”は、“幻想的”という意味ではありません。幻想曲のスタイルは、もっと自由に表現された枠にとらわれないという意味です。この公演では、バッハからシューマンまでの幻想曲を取り上げますが、幻想曲のジャンルに対する作曲家一人ひとりの捉え方はまったく違います。バッハの《半音階的幻想曲とフーガ》の「半音階的幻想曲」は、要するに即興演奏であり、フーガへの前奏でもあります。モーツァルトの《幻想曲》はニ短調で書き始めて、最後にニ長調の明るい部分をつけて終わりにしてしまったのかもしれない。ショパンの場合、《幻想ポロネーズ》などではさまざまな要素が幻想曲と混ぜ合わされています。彼の《幻想曲》は、楽想が即興演奏的で、どんどん発展していくのだけれど、発展していくように計算された作品だと思います。そしてシューマンの《幻想曲》は、この演奏会で演奏するファンタジーのなかでは一番大きな作品。ソナタとして作曲しようとしたらはみ出てしまい、幻想曲というタイトルにした、という感じで、そういう意味ではベートーヴェンの「幻想曲風ソナタ」と非常に似ていると思うのです。

 横山のこれまでの活動を振り返ると、彼がショパンとベートーヴェンを柱にしているのがよくわかる。横山にとって、ベートーヴェンはどのような音楽家なのだろう?
 ベートーヴェンはそんなに器用な作曲家ではないと思います。彼の音楽は、人間のもつさまざまな要素がエネルギッシュ、かつストレートに表わされています。音楽史上、彼は革命的な作曲家です。彼の音楽は非常にエネルギーが強いので、そこに焦点を絞り過ぎると、演奏としては武骨なものになりかねない。また、それらをきれいにまとめようとすると、違ったものになってしまいます。ベートーヴェンだって、時には美しいものを求めることもあったと思うのです。彼の音楽は、作品によってキャラクターがかなり違うので、それぞれの魅力を伝えることがピアニストとして最も留意するところです。

 かつて横山は、ベートーヴェンについて「神のようだ」と語っていたが、
 僕のなかでは、だいぶ“人間”になってきました。ベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタ(作品109、110、111)は、“神”というよりも、完全に哲学的な世界…哲学と詩の世界です。その当時、彼は完全に耳が聞こえていません。自分の音を確認しながら作曲したならば、あのような音楽にはならなかったでしょうし、耳が聞こえていたならばベートーヴェンの苦悩はなかったでしょうから、まったく違う音楽になっていたでしょう。また、32曲のピアノ・ソナタ中でも第26番「告別」あたりまでは、とてもエネルギッシュな一人の男性の音楽だと感じています。

 今回、横山は絶望に打ちひしがれた時期のベートーヴェンの作品に挑む。難聴や失恋、そして遺書まで綴ったベートーヴェン。苦悩にあえぎ、もがき苦しみ、そして新たな世界を見出そうとする姿が、6曲のピアノ・ソナタに如実に映し出されている。
 熱いパッションと雄々しいロマンティシズムに満ちあふれ、同時に揺るぎない音楽の構築性をもつ横山の音楽は、豊かな包容力を兼ね備えている。彼は、ベートーヴェンの苦悩と迸る情熱をどのようにあぶり出してくれるであろうか。

取材・文:道下京子(音楽評論家)
写真:ミューズエンターテインメント
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横山幸雄がベートーヴェン/ピアノ独奏曲全曲に臨むシリーズ
横山幸雄 ピアノ・リサイタル <ベートーヴェン・プラス Vol.4>

2017年9月23日(土・祝) 10:30 東京オペラシティ コンサートホール 詳しい公演情報はこちらから

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