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フェルッチョ・フルラネット インタビュー その1(マリインスキー・オペラ) 

 現代を代表するバス歌手として世界中で活躍するフェルッチョ・フルラネット。数多くのレパートリーの中でも特にフィリッポ二世役は“現代最高”の定評がある当たり役であり、2001年のサントリーホール・オペラ「ドン・カルロ」での名唱はいまや“語り草となっているオペラ界のレジェンド。来年、15年ぶりに日本でフィリッポ二世役を披露するフルラネットに「ドン・カルロ」について、ゲルギエフのこと、カラヤンとの思い出など、電話でお話を伺いました。

インタビュア:高橋美佐(イタリア語)
構成・質問:岸純信(オペラ研究家)


©Alena Kuznetzova


フィリッポ役を歌って35年
Q:フィリッポ二世の役を最初に歌われたのは、いつでしたか?

 フィリッポ二世役のロールデビューは1980年でした。ドイツのカッセル劇場です。当時の芸術監督はジャンカルロ・デル=モナコ_氏で…マリオ・デル=モナコ氏の息子さんですが。その彼が演出も手がけた舞台で、私はフィリッポ二世デビューをしたのです。おそらくこの役が、自分が他の役にまさり、もっとも長く歌ってきた役だと思いますが。


Q:いくつのプロダクションでこの役を歌いましたか?
 はっきりと記録をつけているわけではないので、正確ではないですけれども、じつに回数多く歌っております、とくにこの15~20年は。世界中でね、ええ、ニューヨーク、ロンドン、パリ…ウィーン、もちろんマリインスキーでも・・・あちこちで歌いました。


Q:初めてお歌いになったときのそのプロダクションは、どのようなものでしたか?
 初めての挑戦となったプロダクションは、とても変わったものでした。舞台装置は1パターンのみで、それだけでも当時としてはかなりアヴァンギャルドな発想でしたが、解釈としては、宗教裁判の時代の姿というものを非常にうまく表出した、いい演出でした。ですが、昨今のこの手の演出には、正直申し上げて自分はもはやあまり興味を感じません。フィリッポ二世の演技上もっとも重要な、第4幕の自室でのシーン、私はここが、ヴェルディが「こうあってほしい」とイメージしたとおりの演技でやりたい、と思っていますので、したがって、トラディショナルな演出のほうを好みます。ロンドン・コヴェントガーデンでのプロダクションなどには愛着があります。ニューヨークのものも悪くないですね、ニコラス・ハイトナーのものです、あらゆる細部にまで目がゆきとどいた仕上がりで、演劇的にとても深い、すぐれた演出です。


ハイトナー演出「ドン・カルロ」
ニコラス・ハイトナー演出「ドン・カルロ」メトロポリタン・オペラ
©Ken Howard/ Metropolitan Opera

フィリッポ二世役は役そのものとして輝いている、最も美しい役です。
Q:フィリッポ二世役への愛着は、最初に演じた時からご自身のなかにあったようですね?

 当然ではないですか。心は少年時代からオペラの世界に入り込んでいたのです、しかも、バス歌手を志す青年にはフィリッポ二世役はなんとしてでも到達したい目標なのですから。おそらく…ヴェルディが書いたすべての<バスの>役のなかで、もっとも美しいものです。その美しさの質が音楽的な、歌唱技術の話にとどまるのではなく、役そのものとして輝いているのです。


Q:お生まれは、北イタリアのサチーレですが、子供時代はずっとこの故郷で過ごされたのですか?
 ええ、そこで育ち、高校までの学業を終え、そして声楽の勉強をしようと決意して、マントヴァの先生のもとにレッスンに通うことにしました。カンポガッリアーニ先生という、有名な方です。以後、週に2~3回のレッスンのためにマントヴァ通いが始まりました。長い通学時間でしたね、電車で片道3時間かけて、それを往復…しかし、美しい時代でした、若かった私は、そんな遠距離通学もすこしも辛く感じませんでした。


Q:文化的には、サチーレは具体的にどんな町だったのですか?
のどかな田舎町ですよ、でも、重要な歌劇場には近かった。もっとも近いのはトレヴィーゾの 劇場です。私はそこでドン・ジョヴァンニのロールデビューをいたしました。パジアンでは、声楽コンクールに出場して優勝しました。フェニーチェ歌劇場にも一時間かからないで行けます。トリエステ歌劇場も車で1時間ちょっとです。トリエステでのデビューは初期キャリアのなかでも重要なものでしたよ。


ティーンエイジャーの頃はポップスに夢中になり。グループを作って歌っていました。
Q:歌手になろうという決心は、いつ、どのように固まったのですか?

 いたって簡単なことです。もしある人が、優れた声を持って生まれたならば、生まれてまもなくもう自然に歌っているはずです。私の場合も、いえ、周囲の人たちがあとから自分に言ったことですが、4~5歳になるともう、耳にしたメロディーをすぐに覚えて口ずさんでいたそうです。私の曽祖父は大のオペラ好きで、テノールの有名なアリアを私に教えてくれましたが、私はそれを覚えて、彼に聞かせるために一生懸命歌いましたね。喜んでもらえたし、なにより自分が歌いたかったですから…ええ、どんな歌でも。そののち、ティーンエイジャーのころは、ポップスに夢中になりました。1960年代の後半です。このころはポップミュージックが隆盛をきわめて、いい音楽がたくさんありました。私自身も御多分に洩れずギターを習い、グループを作っていたのですよ。ですから、歌手になる決心などする以前に、子供のころから今日の今日まで、この「声」と人生を共にしているのです…60年代歌謡曲もこの声で歌っていました(笑)。22歳ぐらいでしたか・・・そのころになると、だんだんポップスの世界にも飽きてきて、関心がはっきりとオペラに向いて行ったのです。


Q:歌謡曲など軽いものは、もうすべて経験したし、さらに先へ・・・ということだったのですね?
 ええ、そうです。ポップスを歌っていたことは、観客とのコミュニケーションを学ぶうえで大変役立ちました。初めてオペラの舞台に立った時点では、もうそのような問題はとっくに乗り越えていたのです。カンポガッリアーニ先生に師事して1年経つか経たぬかのうちに、舞台デビューの話が決まりました。


Q:「ドン・カルロ」についてさらに伺います。フィリッポ二世役は、年をとった、しかも悲しい男の役ですが、初めて歌った時にしっくりこないような感覚はなかったのですか?…と言いますのが、たいていのバス、バリトンの方々にとって、ロールデビュー時には、役柄の設定年齢のほうが、ご自身の実年齢より相当上かと思うのですが?
 おっしゃる通り。フィリッポ二世はしかし、歴史上実在の人物で、調べますとオペラで設定されたストーリー展開中、実際の彼は36歳だったのです。反対にドン・カルロのほうが18歳だったのです。こんにち、どうしてフィリッポ二世のほうをあんなに年寄りに描くかというと、実際のテノール歌手のだれにドン・カルロを歌わせてみたところで、どこからどう見ても18歳に見えないからですよ(笑)。
 オペラの上演にあたっては、そんな現実的な必要も生じてきますけれどね。しかしいずれにせよ、男性低声歌手が、自分の体験だけでは計り知れない、年長者の内面を探求しなければならないケースは、非常に多いですね。たとえば、悪徳に染まった高位の僧侶の役柄など・・・私自身、メトロポリタン歌劇場に宗教裁判長役でデビューした際には、まだやっと30代でしたので。しかも、歴史上の重要人物を演じなければならなかったわけです。宗教裁判長は90歳で、目が見えない。ですが逆に歌手という職業はありとあらゆる人々の人生を、自身のことのように感知できなければ務まりません。よい声の資質に恵まれていることは必須条件です。ですがそれに加え、役者としての資質も非常に重要なのです。ときには自分と大きく年齢が離れた人物をも演じなければなりません。ご指摘の通り難しいのですが、でもそれが、私の職業を面白いものに、またとても美しいものにしてくれているのです。


Q: 歌い、そして演じる。そのたいへんなミッションを完遂するためになさっている勉強や努力は、どのようなものですか。やはりたくさん資料など読まれて…
 骨が折れますがやはり読書と、とくに実在した人物の役の場合は史実を調べ、どういう人物だったのかという描写にあたるものはくまなく読みます。もし私自身の場合について、こういう要素が自分を助けた、という話を加えるのでしたら、私が初めてフィリッポ二世を演じたとき、初めてフィガロを演じたとき、ボリス・ゴドゥノフを演じたとき…非常に幸運だったことは、そのような私の時代、まだ偉大なる演出家たちが多く活躍していたことです。じつはそこが、役者が基礎を身につけるための最重要条件でもありましょう。ジャン=ピエール・ポネル、ピエロ・ファッジョー二、ジョルジョ・ストレーレル、フランコ・ゼッフィレッリ。ロールデビューのとき、私に手ほどきをしてくれたのは、ことごとくこのような、まさに彼ら自身綺羅星のごとき演出家たちでした。このような演出家たちは、まだ名もない新人歌手に、実力のある芸術家になってゆくための道筋を示すという力量があったのです。歌い、そして演じることができるようになるために、一番大切な深い素養とは、じつのところこのような体験によってしか、培われないのかもしれません。


Q:マエストロ・ゲルギエフとは、すでに「ドン・カルロ」をおやりになっていますよね?
 はい。近年の白夜祭(White Nights Festival)でご一緒しています。


Q: マリインスキー劇場のメンバーとご一緒に?
 ええ。私がマリインスキーのみなさんと初めてご一緒したのは2004年ですが、以来、白夜祭をはじめ、フェスティバル以外の機会にもずいぶん共演してきています。新制作の「ドン・キショット」でもご一緒しましたし、これからもずっと共演させていただくことになるでしょう。マリインスキー劇場とのお仕事はつねに重要度が高く、奥深いものに仕上がっています。


「ドン・キショット」
マリインスキー劇場のヤニス・コッコス演出「ドン・キショット」はフルラネットのために制作されたプロダクション。マリインスキー・アカデミーの有望な歌手たちと共演した。

盟友ゲルギエフは現在で唯一のカラヤンのような存在。
Q: マエストロ・ゲルギエフの音楽的な特徴は、どんなところにありますか?

 ゲルギエフ氏に代わる指揮者はいない、と言っていいでしょう。その理由ですが、私は<現在の>偉大な指揮者のうち、ゲルギエフ氏に対してだけ、「ああ、カラヤン氏のようだ。」という感覚を持ちます。それはただ音楽的な才能がカラヤン氏に匹敵する、という意味にとどまらず、カラヤン氏がまさにそうであったように、ゲルギエフ氏は自身のその音楽的・芸術的な力量を活かしきり、マリインスキー歌劇場をひっさげて世界中にその存在を知らしめています。優秀な企業家のような手腕です。カラヤン氏もそうだった。秀逸な文化をいっぱいに詰めこんだスーツケースを抱え、それを世界に伝搬する方法を心得ていたのです。そしてゲルギエフ氏を賞賛してやまないもう一つの理由・・・彼は、約束したことを必ず実行する人です。オペラやクラシック音楽の世界においては星の数ほどの口約束が飛び交っていますが、ゲルギエフ氏の口から「これをやろうじゃないか。」という言葉が出たとたん、周囲はみな「必ず、やることになるな。」と、確信を持つ。彼はそういう人でもあります。


CD ムソルグスキー「死の歌と踊り」
フルラネットとゲルギエフは定期的に共演を重ねるまさに盟友。
マリンスキー・レーベルで録音も行っている。

Q:逆に言えば、ゲルギエフ氏とのお仕事では、いかなる問題も起きないのですね。
 まったく、なにも。彼との仕事は喜び以外のなにものでもありません。舞台が終わったあとも、レストランまでさらに喜びが続いていますよ(笑)、一緒に食事をしてテーブルで冗談を言い合う仲です。最初の出会いは2000年のザルツブルグ・フェスティバルで「ドン・ジョヴァンニ」を歌ったときでした。以来、仕事での強い絆はもとより、プライベートでも友情が生まれ、深く育まれています。


Q:まさに盟友・親友なのですね。
はい、そうです。

その2へ続く・・・

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帝王ゲルギエフ&伝説の劇場が威信をかける2演目
マリインスキー・オペラ 来日公演2016



「ドン・カルロ」
10月10日(月・祝) 14:00/10月12日(水) 18:00
「エフゲニー・オネーギン」
10月15日(土) 12:00/10月16日(日) 14:00

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