トリノ王立歌劇場 2010年来日公演

フリットリの≪ラ・ボエーム≫への恋文
「私、ボエームを愛しているの (Io amo Boheme) 」
バルバラ・フリットリがそう言うのを聞いたとき、決心した。これは、聴かなければならないと。
フリットリは言うまでもなく、現代最高のソプラノのひとりである。彼女を最高たらしめている理由のひとつは、自分の声に適った役を選んできた知性と慎重さだ。リリック・ソプラノであるフリットリにとって、プッチーニはハードルが高かった。だから「ボエ−ム」も、歌ったことはあるもののまだ早いと感じて封印してしまったのだ。愛してやまないオペラだったのにもかかわらず。
このたび、その封印が解かれる。学生時代からの友人であるノセダの、たっての願いもあって。私たちも楽しみだが、それ以上にフリットリ本人が、ミミを歌うことを楽しみにしているに違いない。プッチーニの魅惑的な旋律が、彼女のしっとりとした情感ゆたかな声でよみがえる瞬間を想像するだけでわくわくする。
共演陣も粒ぞろい。相手役のマルセロ・アルヴァレスは、劇場を喝采で揺るがすことのできる数少ないテノールだ。ロドルフォは、スカラ座をはじめ各地の劇場で歌っている十八番。澄んだ高音と安定度の高いコロラトゥーラで高い評価を受けている森麻季のムゼッタも、大いに楽しみだ。
グリッフィ演出の美しい舞台に、旬の歌手たちの競演。そして音楽監督ノセダの、はつらつとした指揮。現代最高峰の「ボエーム」に出会える夏が待ち遠しい。
加藤浩子(音楽評論家)


ラ・ボエームへの期待
粗末な屋根裏部屋での出会い、下町の雑踏での再会、別れの雪景色・・・大都会に暮らす若者たちの「光と影」がぎっしりと詰め込まれたオペラ《ラ・ボエーム》。パリを未訪のままのプッチーニが想像力ひとつで描いたこの音の絵に、今回の演出家グリッフィが与えたのはまさに「空間の美学」である。大舞台を人や物体で埋め尽くすのではなく、天井や空の高さと照明のコントラストを巧く計算した上で、最も大切な「心の動き」に、客席の視線を自然に向かわせるという采配ぶりが実に頼もしい。このたっぷりとした、開放感溢れる空気の中では、ソリストたちや合唱団も一層のびのびと演じていて、衣裳が作り出す配色の美学も清々しく、第3幕では厳冬の澄み切った大気までもが目に映るかのよう。ミミを演じる名花フリットリの情熱的な歌声が、その空間を大いに震わせ、温めてしまう瞬間を、今からとても楽しみにしている。 
岸純信(オペラ研究家)
ラ・ボエーム -La Boheme-
あらすじ・聴きどころ
第1幕:冬のパリ。屋根裏部屋で若き芸術家たちが暮らす。部屋を訪れた病身のお針子ミミと詩人ロドルフォが恋に落ちる(アリア〈冷たき手〉&〈私の名はミミ〉)。
第2幕:クリスマスイヴの夜。一同の前に現われた美女ムゼッタは、元の恋人の画家マルチェッロをアリア〈ムゼッタのワルツ〉で誘惑、二人はもとの鞘にもどる。
第3幕:ロドルフォの深い愛を知ったミミは、病で迷惑をかけたくないと別れを告げる(アリア〈さようなら〉)。
第4幕:屋根裏部屋にムゼッタが駆け込み、街で行き倒れになっていたミミを連れてくる。ベッドに横たわるミミは、哲学者のコッリーネと音楽家のショナールにも礼を言い、恋人と二人で最後のときを過ごす。やがて彼女は息を引き取り、ロドルフォは慟哭する。
岸純信(オペラ研究家)