舘野泉


舘野泉左手のみでなければできない音楽の世界


─ 最初に2002年のご病気からこれまでを振り返られての思いを。

舘野:今年で5年目。時が経つのは速いですね。でも、最初の1年半ほどは身体が凍ったようで、弾きたくても弾けず、時の停まった厳冬の荒野に置き去りにされたような孤独感を味わいました。しかし息子から贈られた左手用の楽譜に触れ、「音楽は片手だけでも、何不足なく充分に伝えられる」ことが分かったのです。まだ病身で体力もありませんでしたけど、皆さんが「来て、ピアノの前に座ってくれるだけでいい」と言ってくださり、30分位の小さな演奏会を幾つか持ちました。とにかく、また弾けることが嬉しくて、心のはずみにもなり、精神力、体力が戻ってきて、2004年の5月に正式な復帰リサイタルをもつまでに至りました。長年の友人である間宮芳夫さんとノルドグレン氏が再起を祝って素晴らしい新曲を書いてくださったのも、生涯忘れえぬ感激です。復帰を待っていてくださった多くの方々そして数多くの演奏の機会を与えて頂いたことに、心から感謝したいと思います。吉松隆さんや林光さんにも美しい作品(共に今回演奏される)を書いて頂いたし、室内楽やオーケストラとの共演も再開でき、70歳間近のいま、楽しみは数限りなく広がるばかりです。


─ 5月のリサイタルは、すべて日本人の作品ですね。

舘野:邦人作品のみのプログラムは、実は、1961年の第2回自主公演以来なのですよ。当時は、日本人が欧米の作品だけ弾いていることに疑問を感じていて、邦人の作品のみで演奏をしてみました。今回は、作曲家の友人たちが書いてくれた新作、それも、全部左手のためのものであり、彼等にとっても初めての試みで、苦心も多かっただろうと思います。それらを充分に弾き込み、聴いて頂くことが、現在の私にとって大事なのであり、新作への愛情表現でもあります。

─ 今回の新作2曲、まずは末吉保雄さんの曲からご紹介頂けますか?

舘野:末吉さんの「土の歌・風の声」は作品が書きあがる傍から、3回に亘って送っていただき、実は最後の5頁を昨日(2月13日)受け取ったばかりなのです。単一楽章で、大判のスコア19頁の大作ですが、全体を構成する四つの部分にはそれぞれ、仮題として、巡礼の歌、風の伝える切れ切れの思い出、恐ろしい記憶、野を渡る風、が考えられています。末吉さんとは少年の日、ともに豊増昇先生にピアノを師事しており、しかも、芸大では同級生だったのですよ。そして、現在は日本セヴラック協会を運営している仲間でもあります。この曲には、我々が愛する作曲家セヴラックへのオマージュがひそやかに響いているでしょうし、その生地ラングドックへの想いを馳せつつ、人と土と歴史と風といったものがイメージされればよいと考えています。なんといっても、自分の生き様を含めて、今回のリサイタルの中心となる作品です。

─ 谷川賢作さんの「ビバップ・ノスタルジア」はどうでしょう?

舘野:谷川さんは、詩人の谷川俊太郎さんのご子息で、大変優れたジャズ・ピアニストです。最近はNHKの大河ドラマの作曲なども手懸けられているようですね。左手だけで弾くビートの効いた曲というのは魅力がある。ある意味では、両手で弾くより凄みがあるでしょうね。曲は3月の初めには受け取れると思っています。

─ どちらも早く耳にしたいですね。何度も演奏されているという他の2曲については?
  
まず吉松隆さんの作品から。

舘野:これはもう、左手といわず、あらゆる日本のピアノ作品の中で、名曲の位置を揺ぎないものにしたといってもよいのではないでしょうか。とにかく、各地で演奏するたびに、ロックの好きな若い人から、現代音楽や邦人作品が苦手といった年輩層にいたるまで、まるで吸い込まれるように息を潜めて、静かに聴き入っているのです。タピオラというのはフィンランドの神話に出てくる森の神様(タピオ)が棲むところ。その宇宙的な幻景光、森、水、鳥、風が透明な響きで描かれており、ピアノが全域に渡ってヴィルトゥオーゾ的な活躍をみせます。叙情的で優しく静的であった、これまでの吉松さんの作品から、一大ブレイクをしたダイナミックな作品ともいえるでしょうね。

─ 林光さんの「花の図鑑・前奏曲集」については?

舘野:各曲の題に花の名を据え、それらの花々を通して様々な詩人たちの語る想いをも観てとりながら、林さんはご自分の情感や想念の流れを、音に託して辿っていく。吉松さんの世界とはまた違う、非常に屈折した光が感じられる作品です。
例えば「ヒメエゾコザクラ」は、戦場だったアッツ島(太平洋戦争で日本軍が占領したアリューシャン列島の島)に咲く花に寄せる思い。「イヌタデ(あかまんま)」は中野重治の有名な詩に寄せた曲で、ここにも反戦の思いがこめられているでしょうね。「イヌノフグリ」は、戦争に行く人を思って女性が書いたもの。「ハス」は与謝野晶子の官能的な詩。「ツリフネソウ」では、南国的な沖縄の調べが響いています。林さんはピアノの名手だしピアノ作品も多い。だから当然、ピアノ全域を使った豊かな響きの作品を想像していたのですが、完成したのは、中音から上の高音域、つまり右手の守護範囲ばかりを使った曲だったのです。無理なく演奏するためには、椅子をかなり右側に寄せて座らなければなりませんね。第二次世界大戦が終わった頃、私は小学生の三年生でした。街には白衣の傷痍軍人の姿が多く見られ、腕や脚のない人たちが街角でハーモニカを吹いていた姿を、それから60年経った今でもありありと想いだします。林さんは私より数年年上ですから、ピアノの高音の響きに、その頃の乾いた風景が響いているのかもしれませんね。


─ では最後にひとこと。

舘野:左手のために書くのは、作曲家の誰にとっても新しい経験、苦労も苦心もあるけれど、挑戦に満ちた不思議な世界でもあります。両手の世界とは違う、もしかすると、もっと強く幅広い表現が可能な“左手のみでなければできない音楽世界”があるのかもしれません。
制限が創造の可能性を狭めることはない。素晴らしいことですね。

 

─ 公演が本当に楽しみです。本日はどうもありがとうございました。

 (インタビュー・構成:柴田克彦)

〜北の叙情と秘めたる情熱と微笑みと〜

  舘野泉さんのピアノに出会ったのは私が高校生の時だ。最初に聴いたリサイタルでは、シベリウスや北欧の作品を弾き切った後、聴衆からのアンコールの拍手に応えて、次から次へと色々な作品を弾き続けてくれたのだが、その楽しさったらなかった。それでも鳴りやまぬ拍手に「後 は私の家に来て聴いて下さい」と微笑んでコンサートは終了した。
それから、十数年して、ピアノ雑誌の対談インタビューでお会いする機会があり、その時の話になった。そうしたら、なんと「あの後、お客 さんを家に呼んでアンコールの続きを朝まで弾いたんですよ」と微笑みながらおっしゃる。そうと知っていたら私も行くんだった…と悔やんでも後の祭り。
  そのうち、舘野さんが会長をやっておられる日本シベリウス協会でお手伝いをするようになり、オウルンサロ音楽祭では招待作曲家としてフィンランドを訪ねることにもなった。シベリウスがらみの何とも不思
議なお付き合いとしか言い様がない。
  北欧の…という枕詞付きで紹介されることが多い舘野さんは、そのどこまでも穏やかで静かな物腰と、音楽の優しく深い叙情性に、確かに北の香りがする。でも、「実はけっこう南方系なんですよ」とおっしゃったのを聞いた事があるけれど、秘めたる情熱の熱さが音楽の中にいつだって揺らめいている。
  だから、舘野さんに「左手のピアニストになってしまいました」と言われて、左手のためのピアノ曲を委嘱された時、真っ先にイメージしたのが「北の叙情」と「秘めたる情熱」だった。やさしい曲では失礼だし、だからと言って超難曲を書いて指を壊されてもいけないし…、と思いつつ結局難曲の方を書いてしまったのは作曲家の性(さが)。でも、「吉松さん、弾いてると(難しくて)息が止まりそうになりますよ」と笑いながら、舘野さんはいつだって叙情の奥で情熱の炎を燃やしてい
る。その微笑みに秘めた力強さと共に。

2005.12.20 吉松隆(作曲家)

※このエッセイは、2006年1月21日フィリアホールでの舘野泉/左手が奏でるピアノの調べ(主催:フィリアホール)の公演プログラムから転載させていただきました。